「僕も倒れる前は、左手は伴奏のように思っていた。実際に左手だけで演奏するようになってみると音楽をやるうえでなんの不足も感じない。両手で弾いていた時にはなんて左手をおろそかにしていたんだろうと思うほどですよ」

 問題は曲の不足だった。舘野が演奏活動に復帰した直後、新たに作られた左手用の曲は、間宮芳生とフィンランドの作曲家ノルドグレンによる作品の2曲だけ。ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」などの名曲はあったものの、舘野にはとうてい物足りなかった。

 その後、舘野は06年に「舘野泉左手の文庫募金」を設立。コンサートを開くたびに寄付を呼びかけ、子どもが募金箱に入れてくれる10円玉から篤志家の100万円まで、すべて個人からの寄付が昨年までで1048万円集まった。それを資金に委嘱された左手のための曲は34曲に及ぶ。

「最近ではウィーンで左手の音楽の専門書を出した研究家が、『現代の日本ほど、おもしろく、自由で変化に富んだ左手の音楽を生み出しているところはない』と書いているほどです」

AERA 2015年5月25日号より抜粋