一方、上司は1958年生まれで、青春時代を高度経済成長期に過ごした55歳。「だいたいこの頃の若造はへなちょこだからな」などといかにも昭和的な価値観のもと、主人公をいびり続け、世代間の溝はますます深まり、反逆のきっかけを作り出します。しかし、主人公は皮肉なことに、この上司の妻に愛されることで、大切なことに気づくのです。



「天才になれないかもしれないけど、人の親にはなれる。(中略)それまで僕は、特別な人間にならければならないと思い込んでいた。そうじゃなきゃ、愛される資格がないと思っていた。でも人生を踏み外してよくわかった」(本書より)



 倫理に反してようやく答えを見出した33歳の主人公・富岡兼吾。その後、彼はある決意を胸に新しい人生をスタートさせます。富岡世代はもちろん、社畜人生に意味を見いだせない全サラリーマンにこそ、このような価値観の転換が必要なのかもしれません。