芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「難聴の影響」について。

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 僕の生活の中から音楽が完全に抹殺されてしまいました。強度の難聴のせいで、音楽に限らず、人の話す声も理解不能です。従ってテレビの音声や映画、演劇、コンサートだけでなく音の文化が生活から完全に排除されてしまったのです。五感のひとつである聴覚を喪失してしまったことは人生における最大の危機感でもあります。音の理解を遮断された生活はハタ目からは全く理解されません。耳は不自由だけれど、口は聴覚とは無関係に機能するからです。

 しかし他人との会話が不自由になったために言葉の量も大幅に減りました。最初は補聴器で会話ができましたが、今では補聴器の許容範囲をはるかに超えてしまったので、唯一、ワイヤレスイヤホンによってかろうじて会話の機能は果たしていますが、これも時間の問題です。唯一の会話手段のワイヤレスイヤホンも最近はかなり聞きとりにくくなってきています。家族やスタッフとの会話は次第に筆談によることが多くなってきました。

 まあ、すでに老齢者なので、あとしばらく不自由だと思えば、それほど会話をしなくても生きていけそうです。五感のひとつを喪失すると、他の四感にも影響を与えるらしく、目も鼻も口も触覚も気のせいか朦朧(もうろう)となりつつあるのがわかります。つまり生きる必要が次第になくなっていく兆候が始まったのかも知れませんね。だけど五感の消滅と同時に冴えてくるのは第六感だと思うのですが、どうでしょうかね。五感が機能している間、控えていた原始的な機能が復活し始めているように思うんですが。

 以前、瀬戸内寂聴さんが「難聴になると、絵が変わるわよ」とおっしゃったことがあります。ベートーベンじゃあるまいし、聴覚が芸術に与える影響など、あるはずがないと思っていましたが、最近はなんとなく、そのようなことがあるのかな?と思うようになってきました。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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