JTBが出していた「旅」という雑誌があった。戸塚文子という女性の名物編集長がいて、ある時グラビアと読み物で、母娘旅をして欲しいと言われた。照れ屋の私は母と二人旅などしたくなかったが、母にいちおう聞いてみた。「どこへ行きたい?」

 すると即座に「岩手県」という返事。理由は、宮沢賢治と石川啄木、それに高村光太郎であった。若い頃文学少女だった母は短歌を作り、賢治の詩が大好きだった。

「参ったなあ」と思いながら賢治の故郷へ。なぜ賢治の作品が西洋風の不思議な世界なのか、その謎が少し解けた。

 欧米の人々が岩手県に惹かれる理由もわかる気がする。光太郎が智恵子なき晩年を過ごした雪深い小屋にも光太郎の詩のノートや、彫刻家として作ったトルソーなどがあった。ここにはどこにもない不思議な世界が広がっている。

 そういえばコロナの初期の頃、陽性者が毎日増え続ける中で、岩手県だけが0を続けていた。

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

週刊朝日  2023年3月17日号

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下重暁子

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下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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