「国民体育體操」の図解
「国民体育體操」の図解

 猪・進藤両氏の提言は、ラジオ受信機の普及率が低いことなどから立ち消えたが、一転、昭和天皇の即位を祝う事業の一環として実施することになった。NHKと文部省も加わり、28年11月10日の即位の礼に間に合わせるよう急ピッチで準備が進んだ。

「NHKとの間では、この放送が保険の宣伝にならないかと問題になったようです。そこで簡易保険局長と逓信省電務局とが話し合い、簡易保険という名前を出さなくていいということで、実現に向かうことになりました。体操は複数の専門家が考案しました」

「国民保健體操」と呼ばれたこの体操は、両手を高く上げたり身体を左右にねじったり、今のラジオ体操にも通じる動きがたくさんあった。

 問題はこの体操の動きをどうやって国民に周知させるかだった。

「図解を載せたリーフレットのようなものを作成して、郵便局に置いたり、局員が家庭にお配りしたようです」

 かくして28年11月1日午前7時、NHK東京中央放送局によるラジオ体操の放送が開始。翌年2月には全国で放送されるようになったのである。

 ラジオ体操といえば、小学生の夏休みの行事という印象が強い。その“創始者”は、意外にも警察官だった。全国ラジオ体操連盟事務局長の福士康夫さんが語る。

最初の「出席表」
最初の「出席表」

「30年7月に東京・神田万世橋署の面高巡査が、当時の佐久間小学校(現・佐久間公園)の校庭でラジオ体操会を始めました。夏休みの子どもたちに規則正しい生活をさせようと考えたそうです」

 32年7月には、壮年向けにやや強めの負荷を与えるラジオ体操第2も登場し、大人も子どもも励むようになっていく。

「ラジオ体操会の参加者は、33年には延べ4400万人でしたが、37年には1億を超えて延べ1億2200万人。38年には1億5700万人になりました」(福士さん)

 戦争が激化し米軍による空襲が激しくなる中でも、ラジオ体操の放送は続く。45年8月でさえ、体操の実施状況はともかく放送は行われた。

 だがGHQはラジオ体操を脅威とみなし、禁じた。「全国の人が音楽が流れると一糸乱れず同じ動きをする。国民全体が統制されていると見られたんです」(水田さん)

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