「私が確認したのは、ルヴェルトガが乗船してきた巡洋艦の艦長の子孫が2010年に発表した論文で紹介された写真です。琉球国はフランスと修好条約を結んでいました。琉球国の最後は1879年の琉球処分ですが、日本は72年に尚泰王を琉球藩王とし、75年に清国との関係断絶命令、76年に警察・司法権の移管命令を出して王権に介入していた。国の危機の過程で、琉球はフランス領事館や清国に使節を送って助けを求めていた」

 明治・大正時代の写真もすべて正面向き。大正末期には首里城に沖縄神社が創設され、1925年には古社寺保存法に基づき特別保護建造物(国宝)に指定された。そして、28年からの修復で正殿を拝殿として改修した。この時、龍は初めて相対向きに改変されたのだ。

1921年撮影の首里城正殿の大龍柱は正面向き
1921年撮影の首里城正殿の大龍柱は正面向き

 一方、前述の技術検討委員会では、1877年の写真の大龍柱が正面向きなのは、本来相対向きだったものが何らかの理由で動かされたためと解釈。昨年12月には大龍柱が相対向きで復元されることが暫定的に決定されたが、反対論も根強く、論争は続いている。後田多氏はこう答える。

「国民は琉球文化のシンボルとしての首里城再建を願っているはず。集まった約55億円もの寄付金にそれが表れていると思います。首里城正殿は太陽が昇る東を背にする構図で、王様は西を向く。龍は王権の象徴ですから、やはり西を向いて御庭(うなー)を睥睨(へいげい)しているのです。平成復元は資料も少なく誤ったのは仕方がありません。しかし、今度の再建で相対向きにすれば改竄(かいざん)です。国は歴史的事実に謙虚であってほしいと思います」

(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2022年5月27日号