独自の品ぞろえや選書で知られる個性的な街の本屋さん。2007年、希望者の詳細なカルテをもとにした「一万円選書」を始め、話題になった「いわた書店」(北海道砂川市)の岩田徹さんに、この時期に読みたいお薦めの本を3冊ずつ選んでいただきました。

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 平時であれ有事であれ、人はその発言その行動により人間としての器量を測られます。『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』(TBSテレビ報道局『生きろ』取材班、ポプラ新書)は、敗戦間際の沖縄県で、県民を守るために鉄の暴風の中を駆け回り、消息を絶つまでに多くの命を救った島田知事の生き方が記されています。

 ロシア軍のウクライナ侵攻のニュースに接して、最初に思いだしたのは『終わらざる夏』(浅田次郎、集英社文庫)でした。1945年8月15日の千島列島。目の前にカムチャッカ半島を望む占守(シュムシュ)島には陸軍の最精鋭部隊が無傷で残っていて、終戦交渉にやって来るであろう米軍の軍使を待ちます。しかし、彼らが目にしたのは日ソ中立条約を破棄して攻め込んでくるソ連軍の姿でした。島には少ないとはいえ開拓団の家族がいます。函館高女(現函館西高)の女子挺身隊ら約400人が缶詰工場で働いていました。2万3千の第91師団は「勝つことを許されない」戦いを強いられます。住民を乗せた船団の北海道到着の知らせが来るまで戦い続け、8月21日に降伏し、全員シベリアに送られました。

 僕の父は通信兵として樺太(現サハリン)の上敷香(かみしすか)にいました。8月14日に大量の暗号電文を受信したこと。15日朝、ソ連の戦車に取り囲まれたこと。兵隊たちは武装解除されてシベリアに連れていかれたこと。ただ収容所でのことを父はあまり語りませんでした。

 4年の強制労働の後、帰国した父は三菱美唄(びばい)炭鉱で働きます。ここで結婚し、僕と妹が生まれます。6人きょうだいの長男だった父は、一番下の妹と弟を東京の大学に送り出し、炭鉱で貯めたお金をもとに砂川市で本屋を始めます。駅前の集合店舗の小さな店で、両親は本当によく働きました。業界も活気があり、百科事典を売ってハワイに行ったこともありました。

 しかし取次から送られてくる本を並べるだけの商売に批判的だった僕が経営を引き継いだのは90年。店舗を改築し売り場を広げた途端のバブル崩壊。ここからの暗い坂道を恐る恐る降りるような時代をなんとか乗り切った小さな本屋のささやかな(しかし必死の)足跡は、『「一万円選書」でつながる架け橋』(竹書房)などになりました。ウクライナからの報道で呼び起こされた我が家のファミリーヒストリーを書いてみました。

週刊朝日  2022年5月6・13日合併号