昨年、28年にわたるライフワーク、シェイクスピアの37戯曲完訳を達成した翻訳家の松岡和子さん。そんな松岡さん、意外にもシェイクスピアを「学生時代は避けてた」んだとか。作家・林真理子さんとの対談では、長年向き合ってきた人ならではの視点を、明るくやさしい口調で語ってくれました。
* * *
林:菊池寛賞受賞、おめでとうございます。
松岡:ありがとうございます。
林:贈呈式のときごあいさつに行ったら、「あっ、ホンモノの林真理子だ!」とおっしゃって。
松岡:そう、ミーハー全開になっちゃって(笑)。
林:シェイクスピアの全戯曲37作の翻訳、ついに完成したんですね。何年かかったんですか。
松岡:結局28年。50(歳)過ぎてから始めたんです。
林:しかも、ほかのお仕事をされながらですよね。
松岡:はい。大学の教職も子育ても全部やりました。主婦ですし、子どもも2人いるし、「あとは離婚すればフルコースだ」なんてウソぶいてたんだけど(笑)。
林:ご主人はどんな方ですか。
松岡:エンジニアです。
林:もう亡くなられたんですね。こういうお仕事なら、独りでもよかったとは思われなかった?
松岡:夫は、ここまでやるとは思わなかったでしょうね。だまされたと思ってたかも。だって、結婚した段階では、私、まだ大学院の学生でしたから。
林:「物書きの女性と結婚したわけじゃない」みたいなことはおっしゃらなかったですか。
松岡:そういうこともありました。最初の夫婦ゲンカの原因はシェイクスピアでしたし(笑)。たぶん「女房は芝居にとられた」と思ってたと思う。
林:松岡さんが翻訳者になろうと思ったのは高校時代ですか。
松岡:中学のころ『赤毛のアン』にはまって、外国の物語を日本語にする仕事っていいなと思った記憶があります。それに劇は好きでした。東京女子大に入って、シェイクスピア研究会で「夏の夜の夢」をやったり、英米演劇の講義に出たりして、演出家になりたいと思っちゃったの。芝居のこと何もわからないのに、頭の中に自分の空想の劇場が出てきて、どんどん妄想が膨らんで。それで、卒業後、旗揚げしたばかりの劇団「雲」の研究生に。