宝田明さん
宝田明さん

 87歳にして初めて映画をプロデュースした宝田明さん。3月14日に亡くなったが、直前のインタビューでデビュー当時の映画界を振り返り、高倉健さんとの思い出も口にした。

【宝田さんがプロデュースした映画「世の中にたえて桜のなかりせば」の写真はこちら】

前編/宝田明さん、初プロデュース作が遺作に 乃木坂46岩本蓮加の良さを語っていた】より続く

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「芸とは盗むこと。決して自分から編み出すものではない」というのが宝田さんの持論だ。岩本さんにも、「本物をしっかりと見て、それをたたき台にして自分の役を作っていってもらえたら」と期待しながら、現場に臨んだという。

 舞台でも活躍する宝田さんだが、やはり自分の原点は映画にあると考えている。

「1950年代から60年代の映画界には、芝居に厳しい監督さんがいて、役者はそれに応えるために必死に勉強したものです。私を含め森繁(久彌)さんや三船(敏郎)ちゃんのような引き揚げ者、戦地から帰還したプロデューサーや監督や役者も多く、世の中には、占領下の敗北感と、戦後の解放感が入り交じっていました。人々が、荒れすさんだ心を内包しながら、必死で生活を立て直していた時代に、映画人も、戦争を生き延びたことに対する思いを胸に、真摯に映画作りに向き合っていました。私が初めて主演した『ゴジラ』も、被爆国として非戦を訴えた作品なんです」

 プライベートの過ごし方を聞くと、今でも毎晩小瓶1本のビールは欠かさないが、昔に比べてめっきり量を飲めなくなったらしい。

映画「世の中にたえて桜のなかりせば」は、4月1日から丸の内TOEIほか全国公開 (c)2021「世の中にたえて桜のなかりせば」製作委員会
映画「世の中にたえて桜のなかりせば」は、4月1日から丸の内TOEIほか全国公開 (c)2021「世の中にたえて桜のなかりせば」製作委員会

「若い頃は、前日の酒が残ったまま跳び起きて、撮影所に向かっていたものです。6本ぐらい映画をご一緒した成瀬巳喜男監督は、午前中は全然僕の芝居にOKを出してくれない。『どうしてですか?』と質問したら、『酔いがさめるまで待っているだけだ』と(笑)。当時の俳優の酒飲み番付は、東の正横綱が三船敏郎、西が勝新太郎、東の張出横綱が宝田明、西が田宮二郎。唐獅子牡丹(※高倉健さんのこと)は一滴も飲まなかった。一度、江利チエミと名古屋で舞台をやっていたとき、終演後に焼き肉屋で飲んでいたら、健さんがやってきた。『一滴も飲めない』というから、お猪口に一杯日本酒を注いで、耳元で『飲みなさい』と囁いたんです。『はい』と言って、キュッと飲んだと思ったら、15分後にバターンと倒れた。『だから飲ますなって言ったでしょう!』とチエミに怒られたのが健さんとの初対面でした(笑)」

(菊地陽子、構成/長沢明)

宝田明(たからだ・あきら)/1934年、朝鮮・清津生まれ。2歳の頃、旧満州に移る。ソ連軍の満州侵攻による混乱の中、右腹を銃撃され死線をさまよう。53年、俳優デビュー。映画の代表作は「ゴジラ」「香港の夜」「放浪記」など。舞台俳優として2012年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。自らの戦争体験を元にした音楽朗読劇「宝田明物語」を企画。近著に『送別歌』(ユニコ舎)。

週刊朝日  2022年4月1日号