「お好み焼体験スタジオOKOSTA」での体験風景
「お好み焼体験スタジオOKOSTA」での体験風景

 お好み焼きといえば、濃厚で甘みのあるソースが欠かせない。戦後、焼け野原から再出発したオタフクソースは、お好み焼きの食文化を広げ、今や世界50の国・地域で家庭用ソースを販売する。

【写真】発売当初の瓶入お好み焼用ソースはこちら

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 お好み焼き用ソースの大手メーカーのオタフクソース。代表商品が「お好みソース」だ。オタフクホールディングス(HD、広島市)が、オタフクソースなどのグループ企業を傘下に持つ。

 広島県内の店を訪ね歩き、ブログや地元のテレビ番組で、お好み焼きの魅力を紹介する、細井謙一・広島経済大学経営学科教授が言う。

「他社のソースよりも甘い。原料の一つに以前からデーツ(ナツメヤシの実)を使っている。砂糖より高価でもデーツにこだわり、食べる人の健康を考えている会社です」

創業当時の佐々木商店
創業当時の佐々木商店

 会社の生い立ちは、佐々木清一氏が1922年に広島市内で酒の小売りや、しょうゆ類の卸販売をする「佐々木商店」を創業したことにさかのぼる。38年には醸造酢の製造を始め、「お多福酢」として販売した。オタフクHD広報部の大内康隆部長は名称の由来についてこう話す。

「創業者には酢を売るだけでなく、多くの人に福を広め、幸せを売りたいという思いがあった」

 ところが、第2次世界大戦末期45年に、原子爆弾が投下され、工場や住宅は焼失。商売はできなくなったが、創業者夫妻や子どもたちは無事だった。46年には酒造蔵を借り、醸造酢の製造を再開した。

 当時は小麦粉を水で溶き、刻みねぎなどをのせて焼いた「一銭洋食」が流行(はや)り、ウスターソースをつけて食べていた。これがのちに、お好み焼きと呼ばれるようになる。創業者は、取引先からのアドバイスを受け、50年にウスターソースの製造販売を始めた。

 当時、お好み焼きは屋台で提供されていた。お店によって、ソースにいろいろなものを混ぜ、工夫をこらしていたという。あるとき、創業家の食卓に出たのが「あんかけ料理」だった。子どもたちから、ソースにもとろみをつけるとお好み焼きに合うのではという話が出た。これをきっかけに、ソースづくりを試行錯誤し、52年に、お好み焼き用ソースの販売にこぎつけた。

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