ありし日の片岡宏雄さん
ありし日の片岡宏雄さん

プロ野球の道を切り開いてくれた片岡さんに心から感謝しています」

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 今年のプロ野球を制したヤクルトの高津臣吾監督がこう冥福を祈ったのは、1990年代の黄金期を彩る選手たちを獲得した名スカウトで、12月6日に老衰で亡くなった片岡宏雄さん(享年85)。この言葉の“背景”を、片岡さん本人に解説してもらったことがある。

 高津監督が3位指名されたのは90年。この年の注目は同じ亜細亜大の小池秀郎投手で、ヤクルトを含む8球団が指名。クジを外したヤクルトが指名したのは岡林洋一投手(専修大)だった。

「岡林は外れ1位候補だったけど、ロッテが単独指名すると読んでた。それが当日、ロッテの金田正一監督(当時)が『小池で行け』(笑)。で、岡林が残った。ラッキーだった」と語った片岡さんは、こう続けたのだった。

「小池が獲れなくて本当に幸いだったのは、高津が獲れたこと。小池が当たったら獲らないと言ってたからさ。出来レースか、と勘繰られるからな」

 当時の亜大野球部の総監督は、片岡さんにとって立教大の先輩だった。

「だから総監督に言ってたんだ。『本人には、ヤクルトが獲りたがってるとか、一切言わないでください』って。高津はまだ粗削りだったけど、勢いがあって、俺は伸びしろを感じてた。変化球を磨けば絶対使えると思ってた。当時、あんなにキレのいいシンカーは投げてなかったからな。まさか、あれほどの球を放れるようになるとは。よほど努力したんだろう」

 さらに、こう加えた。

「スカウトは、何が幸いするかわからない難しい仕事だけど、高津の獲得は、それが良いほうに回った例。というか、万馬券だよな(笑)」

 しかしドラフト直後、当時の野村克也監督はこう言っていたとか。

「今年獲った選手は大学出の、しょーもない投手ばかりだな」。野村監督との確執を隠さなかった片岡さんは言っていた。

「じゃあ、次は高校出のスピードのある投手だ、と。で、一目見てコイツだって決めた(笑)」。それが翌年の1位、石井一久(現・楽天監督)だった。

 現役時代は捕手。甲子園で活躍し、大学でも1学年上の長嶋茂雄三塁手、杉浦忠投手らと立大黄金期を支えたが、プロでは挫折を味わう。

「緊張じゃない。痛くもない。だのに投げられない。針のムシロだった」

 まだ“イップス”という言葉がない時代だ。

「あんな苦い経験をさせたくない。だから無責任になれなかった。特に大学生には、簡単に手を出さなかった」

 そんな片岡さんが指名した高津投手が今年、チームを20年ぶりの日本一に導いたのだ。

 ホントに万馬券でしたね、片岡さん。ご冥福をお祈りいたします。(渡辺勘郎)

週刊朝日  2021年12月31日号