やりたいことをやって自由奔放に生きてきた人、と寂聴さんを評する人は多い。悪女とか身勝手な生きかたという意味でそれを言う人たちもいるけれど、私は憧憬の念を込めて、それを思う。

 そうして、裏表がなくてサービス精神旺盛で賑やかであかるくて強い寂聴さんの、深い奥にある、誰にも見せなかった部分、もしかしたら彼女自身も、見ないようにしていたかもしれない部分のことを思う。私にも、誰にでも、そういう部分はあって、寂聴さんにもあったのだ、と考える。

「あちらにいる鬼」を寂聴さんは雑誌掲載時から読んで、過分な言葉で褒めてくださった。同時に、当時彼女が新聞に連載していたエッセイの中でこの小説に触れて、「私がもう少し若かったら、自分でも書きたいところだ」というふうなことを書いていて、私はドキドキしたものだった。もしそんなことになったら、私の小説は、比較されることに耐えられるだろうか──。

 でも今、彼女が書いた私の父との物語──寂聴さんの著作の中に、父らしき男は職業や設定を変えてこれまで度々登場しているが、もっとはっきり、井上光晴そのひととわかる方法での──を読んでみたかった、と思っている。それを繰り返し読むうちに、あるとき私はその中に、彼女が隠していた、あるいは探していた結晶を見つけることができたかもしれない。

週刊朝日  2021年11月26日号