寂聴さんとお目にかかる機会はこれまでに何度くらいあっただろう。会うのはいつも気が重かった。寂聴さんと会うことは旅に似ていた。実際に行ったことはないが、イメージとしてはサバンナとか砂漠とか、アラスカとかへの旅だ。行くときは興奮と緊張と、いくらかの恐れがある。そして旅に出れば、自分という人間のちっぽけさ、この世界や人生に対する足場の甘さを思い知らされて、しおしおと帰ってくる。比較の相手が大きすぎるので、よし私もがんばろう、という殊勝な気持ちにはなかなかなれず、どうせ私なんか、とふてくされて旅の後の一定期間を過ごすことになる。ただ、その旅の記憶は、自分の中にずっと残っている──ときどき、取り出して触ることができるように。

 私は四十歳で結婚した。一冊めの単行本を出してから、ずっと小説を書けずにいた私が、二冊めの単行本を出したタイミングと重なり、版元の方がお祝いの会を開いてくださった。そのとき寂聴さんも出席し、スピーチをしてくださった。

「女流作家は、幸せにならないほうがいい小説が書けるんです。でも、おめでとう!」

 その場の全員が苦笑した、まったく寂聴さんらしい「祝辞」だった。私はそのとき結婚した相手とまずまず幸せなまま小説を書き続け、あるとき寂聴さんと会ったら、「荒野ちゃんはいいお連れ合いと一緒になって、どんどん小説が書けるようになったわねえ」とけろりと言っていた。

 私の父の、どこが好きだったのですか。

 寂聴さんと父と母、三人の関係をモチーフにした小説「あちらにいる鬼」を書くために、寂庵に通い寂聴さんにインタビューしていたとき、そう聞いてみた。それまで機関銃みたいな勢いで喋っていた寂聴さんはふっと静かになって、「そうねえ」と、何もないところを見た。

「人を好きになるときっていうのは雷が落ちてくるみたいなものだから。理由なんかないのよ。どうしようもないのよ」

 なんでも話すわよ、なんでも聞いてちょうだい。寂聴さんはそう言って、私の父とのことを、たくさん話してくださった。こちらが聞かないことまで話してくれたし、お気に入りのエピソードは何度も繰り返した。それでも、決して話さないこともあるのだろう。私はこのときそう思った。そうして、寂聴さんは本当に本当に、父のことが好きだったのだなあ、と感じた。

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