亡くなった瀬戸内寂聴さんと、過去に不倫関係にあった作家の故井上光晴さん。娘で作家の井上荒野さんが、寂聴さんとの思い出を綴る。

【写真】これは貴重!剃髪前の若かりしころの瀬戸内さんの一枚

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 寂庵に泊まったことが一度だけある。

 私は三十七歳だった。雑誌の仕事で寂庵を訪れて寂聴さんと対談し、近くのホテルを予約していると言ったら「そんなのキャンセルして、ここにお泊まりなさいよ」ということになったのだった。

 当然のように夕食に連れ出していただいた。三嶋亭ですき焼きをごちそうになり、そのあとは祇園のバーへ。寂聴さん、私とともに、やはりそのとき所用で寂庵に来ていた女性編集者が一緒だった。バーへ行く前かその店の途中で、日帰りの予定であった彼女は辞し、すると寂聴さんは私に「あの人、小田仁二郎のお嬢さんよ」と言った。妻子がある小田仁二郎と寂聴さんがかつて恋仲であったことは私も知っていたから、「ええっ」とびっくりした。ぼんくらな私はそのとき、自分の父と寂聴さんともやはりかつて恋仲であったことを、ほかの人のようにははっきり把握していなかったのだが、小田仁二郎のお嬢さんもその日どこかのタイミングで、「あの人、井上光晴のお嬢さんよ」と囁かれ、「ええっ」と声を上げていただろうと、あとになって思った。バーでの数時間、女言葉の男性店主相手に、寂聴さんは丁々発止のやり取りを繰り広げ、私はといえば横でニコニコしていることしかできなかった。

 その夜はばったり寝た。朝、洗面所を使っていると突然扉が開き「あら、ごめんなさい」と作務衣姿の寂聴さんがあらわれた。聞けば昨夜帰宅後、夜通し仕事をしていて、短編小説を一本書き上げた、とのことだった。あのとき彼女は七十六歳だったはずだ。午前中に私は寂庵を出て、新幹線に乗った。まだ正午に早い時間で、二日酔い気味でもあったのだが、移動販売が来ると缶ビールを買ってゴクゴク飲んだ。今さらそんなふうな「不良」をしてみたい、するしかないような気分だったのだ。隣の席の中年のサラリーマンふうの男性が、目を剥いていたことを思い出す。

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