1978年の「真夜中に挽歌」初演楽日終演後に撮影。前列中央のサングラス姿が松田優作さん(渡邉俊夫さん提供)
1978年の「真夜中に挽歌」初演楽日終演後に撮影。前列中央のサングラス姿が松田優作さん(渡邉俊夫さん提供)

 11月6日に三十三回忌を迎える俳優・松田優作が遺したシナリオ「真夜中に挽歌」が11月3~7日、東京・サンモールスタジオで43年ぶりに再演される。三十三回忌に向けて公演を準備した文学座演劇研究所同期の野瀬哲男さん(69)に、思いを語ってもらった。

【写真】松田優作さんの墓前に公演の報告をした野瀬哲男さん

 文学座付属演劇研究所の1次試験が新宿の文化服装学院であって、そこに集まっていた1200人の中で見かけたのが最初なんですが、やたら目立ってました。休憩時間にタバコを吸いに出たら人だかりができてて、その中にアニキがいまして、身長が高かったのとアフロで、すっげーデカく見えてね。《アイツは誰だ?》というのが第一印象です。はなっから存在感が並外れてました。芝居以前の話です。

 約200人が1次を通過して文学座のアトリエで2次試験があり、そのときアニキは入り口に近いところに座ってて「おう、合格したのか。頑張ろうな」と声掛けてきたんです。1次で目立ってた記憶が残ってたんで《あ、あの時の……》と、それが第2印象です。既にその時点で何人かが周りを囲んでて、その中心にいました。その頃のアニキは、どこいくにもジーパンに下駄というスタイルで、僕もまねしました。文学座の後輩になる中村雅俊がドラマでそういう格好をしてましたけど、それは、そのずっと後のことです。

 最終的に40人が合格(12期生)し、その中に僕もアニキもいました。信濃町の文学座のアトリエの反対方向に歩くと文学座の練習所があるんです。入所して3日くらいしたとき、授業が終わってから「飲もうじゃないか」となって、先生の許可を得て練習場でゴザひいて、酒を買いに行ってね。ちょうどそれが僕の二十歳の誕生日で、酔っ払っちゃって、僕は割れたビール瓶で首を切ってしまったんです。大けがではなかったけど血がバーッと出たとき、「おーい、何か持って来い」って言って最初に動いてくれて、介抱してくれたのがアニキです。傷口を押さえてるだけで包帯なんか巻きませんでしたし、病院にも行ってませんけどね。そのあと喫茶店に入って「お前、ゆっくりしとけ」と。で、「血が止まったな」と言うと、また仲間集めてどっかに飲みに行っちゃて……僕は置いてけぼり(笑)。

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稽古のラブシーンでブチューッとキス