ディナーショーにゲスト出演した本郷さん/港さん提供
ディナーショーにゲスト出演した本郷さん/港さん提供
若かりし日の本郷さん/事務所提供
若かりし日の本郷さん/事務所提供

 歌手、俳優として50年にわたる芸能活動に幕を閉じた本郷直樹さん(享年70)。日本レコード大賞新人賞を受賞して以降、歌手として、俳優として華やかな道を歩んだが、この20年間は満身創痍(そうい)の状態で大好きな歌に尽くし、亡くなる前日までステージで歌った。

【写真】若かりし日の本郷さん

「絶句してしばらく動けなかった」

 こう話すのは、本郷さんが新宿・歌舞伎町のホストクラブ「夜の帝王」で芸能部長をしていた1980年代から、“兄貴”と慕う歌手の港あきらさんだ。亡くなる前日の8月1日、歌舞伎町のイベントホールでディナーショーを開き、本郷さんをゲスト歌手として迎えたばかりだったからだ。

「ショーは夕方6時30分から9時までで、兄貴には後半の部で4曲歌っていただきました。最後は北島三郎さんと鳥羽一郎さんのデュエットソング『演歌兄弟』を2人で歌ってフィナーレ。少し痩せた感じはしましたが、声量は以前とさほど変わらなかったのに……」

 本郷さんは、ステージには車椅子で登場し、座ったまま熱唱した。

 本郷さんのマネジメント業務をサポートしてきたイベント会社・ダイナミックプロモートの仲代祐(なかだいたすく)社長はこう話す。

「実は昨秋、左足の血流が悪くなった揚げ句に、たまたま傷口からバイ菌が入って壊疽(えそ)を起こし、10月に都内の病院で股関節と膝の中間から下を切断したのです。1カ月弱で別のリハビリ病院へ転院し、練馬区の自宅へ帰宅したのは今年1月3日。バツイチ独身ですから、以来、独り暮らしで不自由な身ながら頑張っていたんですよ」

 仲代社長は、本郷さんが最初に所属した大手芸能事務所のバーニングプロダクションでもマネジャーを務めており、48年来の“戦友”でもある。

 ディナーショーでは左足切断をネタに、「足を切ったおかげで命が助かった。ただ、足を焼くのに3万円もかかったのは痛かったけどね」と冗談を言っていたという。

「『演歌兄弟』を歌った後、何かを託すように2回も手を握ってくれたんです。幾度も歌謡イベントでご一緒してるのに初めてのことでした。予感があったのかなあ」(港さん)

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売れっ子アイドルの後は俳優でもブレーク