11年3月、本郷さんが都内・池袋でカラオケパブ「本郷直樹の部屋&パンドラ」をオープンした直後、筆者が取材した際、本郷さんは当時をこう振り返った。
「『本郷はもう終わった』なーんてうわさが業界に流れて仕事がなくなってさ、真剣に自殺を考えた。本当にどん底だったね」
それでも歌うことが大好きで懸命にリハビリに励み、05年には10年ぶりの新曲「心うらはら」をリリースするほど体調が回復した。芸能活動も少しずつ増やした。
13年には、新人歌手発掘に力を注ぐべく、新宿に本郷直樹音楽事務所を立ち上げ、翌14年に都内の昼カラオケ店で歌謡教室を始めた。16年からは別の昼カラオケ店を週に3回借り、店の営業と歌謡教室を切り盛りしてきた。
仲代さんが話す。
「心残りなのが、昨年12月にホテル椿山荘(文京区)で行う予定だった『デビュー50周年記念ディナーショー』が、新型コロナのため延期になってしまったこと。延期決定後に左足を切断せざるを得なくなったのですが、やらせてあげたかった」
大好きな歌をがんばってきただけに、残念でしょうがないという。
本郷さんの遠戚にあたる、人気ラーメン店「なんでんかんでん」の川原ひろし社長は、
「僕が実家のある福岡から上京して芸能活動をしていた時にも、ずいぶんとお世話になりました。亡くなられたのはとても残念ですが、前日までマイクを握っていられたのは本人にとって本望な最後だったように思います」と語った。
偲ぶ会などは新型コロナの感染状況をみて開く時期を決めるという。
心よりご冥福をお祈りいたします。(高鍬真之)
※週刊朝日オンライン限定記事