平松洋子さん (c)朝日新聞社
平松洋子さん (c)朝日新聞社

 古今の日記の中に、コロナ禍を乗り切るヒントはないだろうか。そんな思いで、今読みたい日記をエッセイスト・平松洋子さんに選んでいただきました。

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「こんな日もある。

 二月十五日、曇ときどき小雨、風はないままに冷えこむ。今年初めて競馬場に出かけた。府中の最終土曜日である」

 1986年2月、冒頭の一文。この日、第7レースだけ勝ち、ほかは全部外して終わる。翌3月、冒頭の一文にはこうある。

「こんな日もある。

 眼ばかりになってしまう。テレビの前ではさすがにそうなりにくい。やはり競馬、パドックか平土間かスタンドにいる時だ」

 古井由吉『こんな日もある』(講談社)。85年、競馬専門誌「優駿」で連載が始まり、日記の体裁を取りながら2019年まで三十余年に亘って書き継がれたエッセイのなかから、昨年の逝去ののち、初めてその一部が編まれ刊行された一冊だ。私は、競馬はしないが、馬には乗る。馬という生きものと文学者との勝負をつうじた交歓に惹かれ、手にした。

 馬とレースについて綴るのだが、詳細にして簡潔、むしろ淡々とした気配が漂う文章。その背景が、こんな文章のなかに見つかる。

「なぜ競馬が好きなのかとたずねられて、あそこにはとにかく明白な喜怒哀楽があるから、と応えた人がある。うまい答え方だと思う」

 簡明に、細心に浮かび上がらせる一レース一レース。馬もまた、鮮烈に描かれる。07年4月22日、東京のフローラステークスでのベッラレイア。

「ところがやっと大外へ出すと、一完歩ごとに、大きくなる。一完歩ごとに、花がひらく」

 ゴールに向かう馬の走りがはっきりと見える。

 徒然に書きつけられる四季の移り変わり、天変地異、事件、知己の訃報、むかし暮らした土地や旅の記憶。作家の日常に濃淡をもたらすのも、やはり競馬なのだ。手術や入院によって競馬からしばし遠ざかる寂しさ。体調が優れず、仕方なくテレビ観戦するダービー当日は、馬と騎手への視線に物狂おしさがつきまとって美しい。馬のある春夏秋冬のなかに古井由吉の姿を探すことが、こんなに胸揺さぶられるものだとは思いもかけなかった。

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