タイトルのとおり、まさに偉大な作曲家をたたえる内容で、見どころも数多かった。

「一般的な単独コンサートでは、アレンジを加えたバージョンを披露されることが多いですが、今回はほとんどオリジナルアレンジに寄せて演奏されていました。逆に、新鮮味があってうれしかったです。一方で、松本伊代さん、早見優さん、森口博子さん、武藤彩未さんの4人でカバーされていた『17才』は、南沙織さんバージョンと森高千里さんバージョン、それぞれのアレンジが融合されていて斬新に感じました。心を揺さぶられ、思わず涙してしまう場面もいくつかありました」

 初日には、アンコールで披露された太田裕美さんのピアノ弾き語りによる「雨だれ」もあり、多くの来場者に感動を与えたという。

 筒美さんはシングル売上枚数7600万枚を誇り、国内の作曲家では「歴代1位」の記録を持つ。

 大学卒業後はいったん、日本グラモフォン(現ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務するが、すぎやまこういちに作編曲を学び、1966年に「黄色いレモン」で作曲家としてデビューを果たした。

 68年の「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、71年の「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)といった国民的ヒット曲を世に送り出し、昭和以降の歌謡界にその名を刻んできた。

“ヒット・メーカー”であり続け、長く日本人の心をとらえてはなさなかった筒美サウンド。その音楽の根底には、徹底した洋楽志向があった。

 学生時代にジャズピアニストとして活躍していた筒美さんは40年代以降の洋楽、とりわけジャズ、リズム&ブルース、ソウルといったダンスミュージックへの造詣(ぞうけい)が深かった。その作風は“ヨナ抜き音階”や“表拍”のリズム感にとらわれた旧来の歌謡曲とは、明らかに一線を画していた。

 時代が筒美さんをつくったのか、筒美さんが時代をつくったのかはわからない。それはともかく、斬新で刺激的なメロディーは当時、若者を中心に絶大な支持を集め、現代のJ‐POPの“礎”となったのだ。

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