今年、還暦を迎えた名バイプレイヤー(脇役)として活躍する光石研さん。新型コロナの影響や私生活など、作家の林真理子さんとの対談で語りました。
>>【前編/「何かを残して帰ろう」は必要なし? 光石研、俳優の役割語る】より続く
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林:岩井俊二監督の作品にもお出になってますよね。「Love Letter」(95年)拝見しましたけど、そのころからいろんな名監督の作品にお出になってたんですね。
光石:岩井さんは90年代のあたまに新星のように出てらして、岩井さんが深夜ドラマを何本か撮られてるときに、たまたま僕、出させていただいて、そこから何本か続けて呼んでいただいたんです。
林:ほかにも有名な監督さんというと……。
光石:青山真治さんとかですね。35歳ぐらいのころに、青山さんの「Helpless」(96年)という映画に、僕、それまでやってこなかったヤクザの役で呼んでいただいたんです。それから、はぐれ者みたいな役が増えたんですよね。当時、Vシネマが全盛だったんで、そういうのにも呼んでいただいたり、そこでまたちょっと役の幅がひろがったというか。
林:知名度が上がったんですね。
光石:いや、知名度はぜんぜん上がってないんですけど(笑)。
林:光石さんって、作業服がすごく似合うというイメージがあるんですけど。
光石:ああ、よく言われます。作業着を着てると、「着こなしてるねェ」って(笑)。これが高倉健さんだと、同じ作業着を着てても、その作業着を超えて“高倉健”になってるんだけど、僕は作業着を着こなして、作業着に埋もれてしまう俳優なんですよね(笑)。スタッフが僕を捜しに来て、気がつかないときがありますからね。
林:アハハハ。
光石:漁師の役でガンガン(石油缶での焚き火)にあたってると、目の前にいるのに「光石さ~ん」って(笑)。
林:でも、それってほめ言葉なんじゃないですか。
光石:当初はほめ言葉だと思って「ありがとうございます」って喜んでたんですけど、言われすぎてきて、「そこから何か出てこないとダメなんじゃないか」と思うようになってきたんですね。それを超えて何かをかもし出してないと。