「強烈な個性に囲まれ、みんなで手探りで作り上げていった8年間でした。たけしさんや紳助さん、のりおさんなど、コンビやトリオをバラして組み合わせて新しいおもしろさを出していくというのも斬新でした。台本も、書いてあることを無視して進んでいくことも多かったです。最初はそれを『おもしろいなあ』って、視聴者のように楽しんでしまっていたのですが、それだと私の出番がなくなってしまうんですよ(笑)。私は一番年下だったので、先輩たちが作り出す空気にくらいついていくので精いっぱいでした」

 番組スタッフから、「来週はコレね」と、歌マネのお題を「宿題」のように出されることも多かったそうだ。

「1週間しかないですからね。必死で考えて、練習して、終わったらまた次のネタで。いいネタが浮かばないと、『1週間何やってたんだ』と怒られました」

 邦子さんも、当然「懺悔」の洗礼を何度も受けた。

「NGもウケればOK、ウケないことが一番のNGなんです。だけど、水をかぶって、真夜中の真っ暗な廊下をびしょびしょのままお風呂に向かうんですが、情けないやらくたびれたやら(笑)。だけど、ウケたからそれでいいんだって、選ばれることが嬉しくもなりました。途中から私も悪ノリして、髪にはじめからシャンプーを塗っておいて、水をかぶったら泡立つように仕込んだこともありました(笑)」

 その後、超人気タレントの仲間入りをした邦子さんは、「オレたちひょうきん族」を、「青春」と振り返った。

「みんな仲がよくて、みんな忙しかったです。誰かの家に集まってワイワイ過ごすこともありました。家に帰らずそこからそのまま『行ってきます』と次の現場に向かう人もいましたね。私は年下でしたが、どこか学校の同級生のような感覚もありました。同じ時間を一緒に過ごし成長した、私にとってはタレントとしての青春のような番組でした」

 放送開始から40年。主要メンバーの多くは、現在も第一線で活躍を続け、いまもお茶の間に笑いを届けている。(本誌・太田サトル)

週刊朝日  2021年4月16日号