東日本大震災の時、ケアハウスを含む多くの福祉施設に着のみ着のままで助けを求め、飛び込んでくる人がたくさんいた。被災した福祉施設の多くは避難所に指定されていなくても、大規模災害の時には避難者を受け入れざるを得ない、と覚悟を決めているという。

 東北地方の多くのケアハウスは3.11の時、停電になったため、人々は暖が取れず、凍えたという。

「当日は夕方から雪になって入居者ともども寒さに震えて過ごしました。その経験からケアハウス独自に自家発電を備えました。今回は停電にならなかったので使わなくて済みましたが、安心感が違いました」(同前)

 停電になるとエレベーターも使えなくなる。3.11を機に自家発電を備えた高齢者福祉施設が増えたという。

 3.11を境に改名したケアハウスもある。特別養護老人ホームとケアハウスが同一施設になっていた「ケアハウスハートフル仙台」は、大きな被害を受けたことを忘れないという誓いをこめて「ケアハウス千年の杜仙台」に名前を変更した。

 大震災で家が壊れたりし、ケアハウスに住み替えた独居高齢者もたくさんいる。宮城県石巻市役所福祉総務課によると、「今までと違うコミュニティーの中で生活する場合、高齢者の気持ちをケアする必要がある」という。石巻市は社会福祉協議会などの協力を得て独居高齢者の「見守り」をしているという。

 福島県相馬市にできた「相馬井戸端長屋」は独居シニアに人気のある住まいだ。震災前より相馬市が力を入れている孤独死対策においても、「長屋」は重要な役割を担っているという。

「長屋」は、要介護になっても「長屋」の人間関係の中である程度までなら生活ができるとされ、実際には要介護3レベルの入居者もいる。

 地域や近所との交流の中に身を置ける環境で、例えば病院の送迎や買い物をお願いしたり、多めに作ったおかずをおすそ分けしたりと、入居者間での見守りと助け合いがある。長屋の家賃は東日本大震災の被災者に限り、数千円で済む(これからの入居者は応能応益負担で個々に異なる)。

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