エディ・ヴァン・ヘイレン氏(C)朝日新聞社
エディ・ヴァン・ヘイレン氏(C)朝日新聞社
野村義男さん(C)朝日新聞社
野村義男さん(C)朝日新聞社

 10月6日にこの世を去ったエディ・ヴァン・ヘイレン氏について、ミュージシャンの野村義男氏が思い出を語った。

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 小泉今日子さんの「学園天国」で、アレンジとギターは僕が担当しているのですが、そのイントロは、実はヴァン・ヘイレンの「パナマ」のイントロの要素を入れているんです。

 エディ・ヴァン・ヘイレンのことを初めて知ったのは、中学生のころ。当時僕が出入りしていたジャニーズ事務所の合宿所でした。ジャニー(喜多川)さんがアメリカで買ってきていたのか、常に新しい洋楽のレコードがあって、その中にあったのが、彼らのファーストアルバム「炎の導火線」。そのジャケットに写るエディのギターがかっこよくて。まずそこに目を惹かれて聴いてみたら、ポップさを兼ね備えつつ斬新なギターのリフ。今まで聴いてきたハードロックとは作り方が全然違うように感じました。
 
 ジミ・ヘンドリックスと並ぶ、ギターの奏法を変えた人ですよね。当時は音を聴いてまねる、いわゆる・耳コピ・もしましたが、どうやって弾いているのか全然わからないところもたくさんあって(笑)。エディのライトハンド奏法も衝撃的で、たくさん練習しました。「自由にやっていいんだよ」ということも教わった気がします。そういう意味ではジャニーさんと通ずるものもあるかもしれませんね(笑)。
 
 MTV時代になって、代表曲「ジャンプ」のMVを見たとき、エディが笑いながら弾いていたことにも衝撃を受けました。「ロックは、険しい顔をして弾かなければならない」という固定観念も崩されました。表情は影響を受けていると思います。もっと長髪のときには、おそれおおくも「似てる」と言われたこともあったり(笑)。

(自身の携帯電話を取り出し)これ、エディのギターのペイントをまねたんです。自分で塗装したものですが、仕上げている途中に訃報を知りました。体調を崩されていたのは知っていたので、「ついにきたか」という気分でもありました。結局、直接会うことはありませんでしたが、会って僕を導いてくれたお礼を伝えてみたかったですね。(本誌・太田サトル)

※週刊朝日1月1-8号の記事に加筆