その青年は実は特別な存在だった。常に「ふさわしい」言動を求められ、そうあろうと努めながら成長し、自分には個性がないと思っていた青年は、積極性のある弟に自分の立場を譲りたいとも願っていた。だが「ふつう」と言われてしまうような誠実さを貫き続ける時、その姿は神々しさを帯びるのかもしれない。

 天皇問題にコミットする物語には、様々な歴史や神話を呼び覚ます仕掛けがめぐらされており、読者各自の記憶や歴史観を刺激して、多様な「読み」を誘う。例えばカラスから八咫烏(やたがらず)を連想すれば、神武東征や野三山が思い浮かび、兄弟の悲劇を思えば、日本武尊(やまとたけるのみこと)や南北朝、あるいは昭和天皇と秩父宮のことも呼び覚まされるだろう。

 天皇は東京にとどまり、人々に寄り添うつもりだったが、政府から「混乱なく国民を避難させるために」と内奏され京都に遷(うつ)っていた。自分の思いを国民に伝えられない天皇は、「発言が政治性を帯びる危険性がある」としてお言葉を制限されている現実の天皇像と重なる。重なるといえば、東日本大震災時の政府対応や、園遊会で天皇に「直訴」しようとした国会議員の行動などを連想させる挿話もある。

 地震は起きるのか。「日本国」と「東京帝国」の「国民」はどうなるのか。青年はどんな決意をするのか。「皇帝」の正体とは……。皇室をめぐる逸話や噂も取り入れた破天荒な物語は、案外真面目にこの国の形を問うてもいる。

週刊朝日  2020年10月23日号