私は、あなたとつきあうまで、こんな不健康な人を見たことがありませんでした。

 それでも必ず、いつの間にか、病気も、怪我も、けろりと治して、泰江夫人に電話で様子を聞くと、あの何者にも何異変にも動じない世にものどかな声で、

「はい、ありがとうございます。只今(ただいま)、ヨコオはアトリエにこもっております」

 が、返ってくる。ああ、この人のついている限り、ヨコオさんは大丈夫なのだった! と想(おも)い返し、いつでも安心するのでした。

 私のすすめた、医者も薬も、マッサージも、すべてヨコオさんには不向きで、お礼を言われたことはありません。

「セトウチさんの送ってくれた世にもよく効くというコーヤクを、背中に貼ると、背中じゅうがやけどしたみたいになって、熱が出て、五日寝こんじゃった!」

 と電話がこわれそうな勢いで、怒りまくられます。

「だってあのこうやくは、明治生まれの東京の大文豪たちがみんな愛用していて、京都の××屋という桶屋(おけや)にしかなくて、大先生の名がなければ売ってくれない高級薬なのよ。私だって、恐る恐るその桶屋に行って、大先生の御高名を告げて、ヘイコラして買ってくるのよ」

 と告げても、背中がまだ痛くてシャツが着れないと、怒りつづけるヨコオさん!

 さて、今度のあの世の話ですが、ああ、ついに来たか! と胸が躍りました。私はヨコオさんの小説の中で、あの世が舞台のものが大好きなのです。

 この世でつきあった老画家が、死んでしまって何年かして、あの世に行った女の目に、その画家が生きていた時のままの体つきや、表情で、あの世の川ぶちでひとり絵を描いていたなど、何ともなつかしい描写に、しみじみあたたかな情愛が湧いてきます。

 ヨコオさんの話では、あの世は、死人の精神の段階によって、階段のようになっている段の居場所が決められ、どんなに仲の良かった夫婦でも愛人どうしでも、その人物のあの世の物差しで人格を計られ、居場所の段が同じではないとか。

 それと同じ話を、私は谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のモデルから聞きました。九十幾歳になっていたのに、頭はしっかりして、谷崎が惚れこんだ美しい脚を、魅力的に組み、たてつづけに喋りました。あの世では佐藤春夫の方が谷崎より魂の格が高いので、上級に据えられていると言いました。十六歳で処女を犯された谷崎を恨んでいるようでした。私は、あの世はこの世より更に自由で、垣根や段階はないと思います。もちろんコロナなどは一切なく、退屈という苦だけがのさばっているような気がします。早く行きたい程の魅力も感じていません。では、また。

週刊朝日  2020年10月9日号