地元の知人はこう話す。

「真理子さんは地元の農家の男性と交際したことがあったが、破局したと聞いたことはあります」

 その後、真理子さんは小此木事務所で秘書をしていた妹とともに数年間、小此木家に住み込んだという。当時の様子を知る地元政界関係者が話す。

「『行儀見習い』といって、昔は結婚前の女性が良家から良家に預けられて礼儀作法や家事を習ったんです。彦三郎さんの妻・節子さんも海運会社を経営する良家の出ですからね。真理子夫人は節子さんから政治家の妻の心得を習得したのではないか。菅さんは当時、書生のようなかたちで小此木家に出入りしていて、そこで真理子さんと知り合ったみたいです」

 交際中の二人のこんなエピソードもある。

「小此木さんは秘書に厳しく、土曜も秘書2人に電話番をさせる。菅さんは後輩秘書に任せて、『ちょっと出かけてくる』とサボってどこかへ行ってしまったらしい。マリちゃんとデートしてるんじゃないかという噂でもちきりでした」(前出の地元政界関係者)

 3人の子宝に恵まれながら、菅氏は出世していく。前述のアパートに約2年住んだ後、何度か転居し、市議時代の1992年に横浜市西区の5階建てマンションの最上階の部屋を購入。登記簿によれば、住宅ローン会社が設定した7千万円の抵当権は3年で抹消された。

 2007年にはこの物件を売り、JR横浜駅近くのタワーマンションの約100平米の部屋を購入。購入時に設定された5千万円の抵当権は10年後に抹消された。

 選んだ男が「倉庫の2階」からのし上がる未来を、真理子さんは読んでいたのか。寺田氏が言う。

「秘書の仕事は大変だったようで、寝不足なのか、真っ赤な目でうちのアパートに来て寝ころがっていたことも。マリちゃんがいつも支えていたから辛抱できたと思います。マリちゃんがいなければ、とうてい総理になんてムリだったと思いますよ」

(本誌・上田耕司)

週刊朝日  2020年9月25日号

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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