寺田氏が菅氏と親しくなったのは大学で同じ空手の授業を履修したのがきっかけ。菅氏は大学卒業後、会社勤めを経て横浜に地盤を持つ小此木彦三郎衆院議員の私設秘書を務めていた。
「新婚ホヤホヤの二人は、うちの2階のアパートの部屋に住むようになりました。うちが所有する物件です」(寺田氏)
すでに取り壊されてしまった木造アパートの間取りを聞くと、和室8畳ほどの部屋が二つに台所、風呂、トイレ付き。
「風呂は小さなバスタブで、膝を折り曲げないと入れないくらい。家賃は5万円前後でした。お子さんはそこで生まれました」(同)
二人の新婚生活はどんなものだったのか。
「マリちゃんは専業主婦で、家事や子育てに専念していた。あまり外を出歩かず、訪ねて来る人も少ない。玄関の靴が乱れていると、きちっと揃えるような人です。菅君は忙しくてほとんど家にいないから、マリちゃんに色々頼まれて一緒に洗濯機を買いにいって運んであげたり、本来旦那がやるような日曜大工をしたりしていました」(同)
この頃、菅氏は30代前半。38歳で横浜市議になるまで生活は楽ではなかった。当時を知る政界関係者が語る。
「菅さんは事務所の18人の秘書の一人で、ずっと私設秘書。給料は安いからミルク代も大変だったと思う。結婚前は事務所の真ん前の倉庫の2階に住んでいた」
一方の真理子さんは静岡県清水市(現・静岡市清水区)で食料品卸会社を営む家の長女。地元の高校から静岡県内の大学に進学した。真理子さんの兄の結婚式の仲人をした前澤侑・元静岡県議が話す。
「真理子さんは3人きょうだいの2番目で、お兄さんと妹さんがいます。お母さんは教育熱心で、真理子さんは若い頃からきれいで頭が良いと聞いていました」
高校の同級生が言う。「部活は弓道部。理系のクラスで数学が得意だったはず。目立つ感じはないけれど、ナチュラルで落ち着いた人でした」
前澤氏によれば、両親は缶詰や飲料水などの食品をスーパーなどに卸す会社を経営していた。
「家族経営で、長くやっているから固定客がいるようでした。ご両親が亡くなった後はお兄さんが後を継いでいましたが、体調を崩されて、会社のあった場所は駐車場になっています」