高樹:よかった~。私も自分で書いてて惚れ惚れしちゃって。

林:そこにいくと、源氏は女を女として見ていない、ちょっと嫌な部分があるじゃないですか。

高樹:そうね。光源氏のほうが業平よりある種、冷酷だと思う。業平のほうが人間味があって、人間力がある人だなと思う。

林:そうですよね。

高樹:それに女を信じるところがあって、最終的に自分の全部の人生の歌を、才ある若い女に預ける。自分の言葉を預けるのは男ではなくて、伊勢という女だった。女の才を信じてたんだと思う。女を信じることができたんだから、やっぱりいい男なのよ。だから『業平』は女性礼賛の話でもあるのよね。

林:素晴らしいです。源氏と、それに続く息子たちの物語は、女を基本的に軽く見ていますもの。

高樹:光源氏はつくられた人物だけど、業平は高子を芥川で失ったときに、自分を用なき者にみなしたんですよね。そういう人間にしか見つけられない美意識みたいなものがあったと思う。西行とか鴨長明とか、江戸時代だと芭蕉とか、いわゆる隠遁者の美、貴種流離(故郷から遠く離れた地をさすらうこと)の美意識の源流をたどっていくと、私は9世紀の業平にたどり着くんじゃないかと思ったのね。和歌ができたころに日本の美の源流がスタートして、そこにいたのが業平だと思う。

林:なるほど。

高樹:西洋には英雄譚(英雄の活躍を描いた物語)ってあるじゃない。日本にはそれがないんですよ。「平家物語」だって、落ちぶれて消滅する哀れの美意識として今日までずっと来てるわけで、それの最初は誰かなと思ってたどっていくと、身を用なき者とみなして東下りに落ちていった業平だ、という気がしてるのね。

林:近代になっても、大久保利通は人気ないけど、西郷(隆盛)とか坂本龍馬は人気ありますものね。

高樹:あなたも『西郷どん!』で書いたよね。

林:日本の英雄って悲劇を遂げるのが条件かもしれない。

高樹:権力というか、そこからはずれた美というのが脈々とあるね。

【小説家は「どうやって食べて、どうやって排泄するか」がいちばん気になる? へ続く】

(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)

週刊朝日  2020年6月19日号より抜粋