結婚したときに「私はせいいっぱいあなたに尽くしますけど、ひとつだけお願いがあります」って言ったの。「朝起きたときと、お出かけするとき、そして寝る前にはチューさせてください」って。主人はずっとさせてくれてたわ。ほら、私はヘプバーンに憧れてたから。

 夫が進行したがんだとわかったとき、それまで長く勤めていた外資系の化粧品会社を辞めて、看病に専念しました。余命3カ月という宣告でしたが、1年半寄り添って過ごせました。最後のお別れのときは、手を握って、生まれ変わってもまた結婚しようねって約束しました。

 夫を亡くして、痛いほどその存在が身に染みました。最愛の人を亡くすというのは、こんなに寂しいのか、心のスキマっていうのはこういうものかって。何もやりたくない時期が3年ぐらい続いたんです。お肌のお手入れもせず、友達には「そんな肌してたら、ご主人嘆くわよ」って言われましたね。

 かつての同僚が、いつまでも泣いてちゃダメだって言って、クリスチャン・ディオールを紹介してくれて、45歳で東京で働き始めました。

 美容部員の教育を任されて、会社のむちゃな要求もクリアしたけど、必要のない化粧品は売りたくないというのが私のポリシー。会社とぶつかって、何度か理不尽な「左遷」にも遭いました。

 それでも定年まで歯を食いしばってがんばれたのは、主人のおかげです。絶対に愚痴は言うな、やりたいことを愚痴を言わずにやれば、必ずやり遂げられる。生前、いつもそう言ってたんです。それに昔、「社会のお役に立てる仕事ならがんばりなさい」と言ってくれた主人に、天国で再会したときに「私、定年までがんばりました」と報告したい。その気持ちがあったから、投げ出さずに済んだんです。

――美容家としてのブレークは、定年後。退職直後に出した本『頼るな化粧品! 顔を洗うのをおやめなさい!』が大ヒットし、テレビ番組など多方面から引っ張りだこに。あの女性の“裏切り”さえなければ、75歳で引退する人生のはずだった。

 引退して、やりたいことがいっぱいあったの。ミニクーパーに乗って日本中を回って、おいしいおそばを食べるっていう夢もあった。今年で75歳になったけど、引退したらお客さまにも迷惑をかけた人にも申し訳ないから、しばらく先延ばしね。

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