まるで小室さんへの恋愛歌ではないか、と感じた人も少なくなかっただろう。



<望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな>

 宮内庁は、「幼いころに聞いた、月にウサギがすむという伝承」と解説した。だが、誰もが思い起こしたのは17年9月のふたりの婚約内定に伴う会見だろう。互いを太陽と月にたとえ、小室さんは、眞子さまへの思いをこう語っている。

「月を見つけますと、うれしくなり、宮さまにお電話をおかけしています。宮さまは、私のことを月のように静かに見守ってくださる存在でございます」

 天皇をはじめ皇族方は、1月の「歌会始の儀」で披講する和歌を、年末までに完成させるのが普通だ。

 つまり、眞子さまが小室さんとの「結婚宣言」を練っていた時期の前後に詠まれたと考えるのが自然だ。そして、宮内庁の重鎮らと話し合いの場を持った時期に、その和歌は「歌会始の儀」で披講されているのだ。

 眞子さまにはもう一つ、今年に入って動きがあった。結婚をめぐり「疎遠」になっていると報じられていた父親との関係だ。

 秋篠宮さまは先の誕生日会見で、「結婚のことについては(眞子さまと)話をする機会はありません」と答えていたが、1月から2月にかけて、親子で話し合いの機会をもったという。

「残念ながらさほど進展はなかったそうです」(宮内庁関係者)という証言もあるが、眞子さまの様子にはわずかながら変化があった。年末年始にかけて険しい雰囲気を漂わせていたが、2月を過ぎて少し落ち着いた様子であったという。

「秋篠宮さまとの話し合いで、2月の公表はしないという形になったのかもしれません。それでホッとなさったところはあったかもしれませんね」(秋篠宮家の事情を知る人物)

 さて、重鎮らとの話し合いの結果はどうなったのか。眞子さまの結婚への意志は揺らいでいないものの、当初、踏み込んだ表現だった「結婚宣言書」は、穏当な内容に書き換えられたという。その内容での公表を考えていた可能性が高い。

 重鎮らと話し合いの場を持つことは、眞子さまに「公」的な側面を持つ皇族としての自覚をうながすことにもつながる。このため、秋篠宮ご夫妻がアドバイスしたと見ることもできる。
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2人の再開に立ちはだかる「コロナ」の壁