瀬戸内寂聴はおばあちゃんを超え「今では“半ユーレイちゃん”」 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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瀬戸内寂聴はおばあちゃんを超え「今では“半ユーレイちゃん”」

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週刊朝日
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。

瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。『場所』で野間文芸賞。著書多数。『源氏物語』を現代語訳。2006年文化勲章。17年度朝日賞。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。(写真=横尾忠則さん提供)

 ですから、主題も様式もないです。何を描くか、如何(いか)に描くかさえ超えています。すると絵を通して、どう生きるかということになるのですが、この、どう生きるか、さえどうでもいいという考えに、絵が描き手の僕に哲学してくるのです。絵が画家を創造しようとするのです。おかしいですよね。

 そーいう意味ではこちらとしては作為を持とうとしても持たしてくれないのです。だから努力などする必要は全くないのです。絵が勝手に努力しているんじゃないでしょうかね。イヤイヤ描くということは半ば描くことを放棄しているわけですから、何を描くべきか、如何に描くべきか、なんて近代主義に洗脳された器の人間がチャンチャラおかしく見えてくるのです。絵は絵でええやんけ、みたいなアナーキーな感じ、と言ったらいいのですかね、知性を超えた、大気圏外に飛び出したコスミックな感じかな? ようわからんけど。

 ここで死んだら二度と絵など描きたいとは思いません。絵を描くということは「私」という存在があるから描かなきゃと思うだけで、これは幻想です。死んだら大気圏内の地球人じゃなくなるわけですから、自己主張の媒体だった絵なんか二度と描くもんか、と今から宣言しておきます。その準備のために、今、僕はイヤイヤ描くことを遺作だと思ってやっているのです。その内、イヤイヤ展でもやりますか。イヤイヤ描いた絵をイヤイヤ見に来る人もいるでしょう。

 さあ、今夜もイヤイヤ寝ます。そして見たくもない夢でも見ますか。おやすみなさい。

■瀬戸内寂聴「もうすぐ満九十八歳の『半ユーレイちゃん』」

 ヨコオさん

 あなたは死ぬまで、一般的老人には、なりっこありませんよ。あなたの年齢の前後の人が次々亡くなるのは、当然。

 だって、ヨコオさんは、いつだって、本来の年齢より三十歳は若く見えているけれど、一九三六年生(うま)れだから、当年とって八十四歳。八十過ぎなら、れっきとしたおじいちゃんです。二月(ふたつき)もすれば満九十八歳の寂聴なんかは「おばあちゃん」などとは昔の夢で、今では「半ユーレイちゃん」ですよ。足腰すっかり弱り、近頃では横になっている時が極楽!! 横になったまま、角田光代さん訳の源氏物語の厚い下巻を読み終わるのに、一週間もかかってしまった。私が源氏を訳した時は、六年半かかった。谷崎さんも、円地さんも、六年半かかっている。それでも、やりたくなるのが、作家の「業」というものでしょう。私は仕上がるまでに三度程、死にかける病気になりました。円地さんが訳される時、たまたまその仕事場にされたマンションに、私は住んでいたので、六十過ぎた円地さんが、訳の途中、視力を失い、重い病気で何度も死にかけたのを、つぶさに見ています。


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