入院される度、私は円地さんの病床にかけつけ、秘書のように、本当の秘書にはさせられないような、下々の内輪の用をつとめたものです。

 円地さんのその頃の源氏に対する情熱は、傍目(はため)にも高揚しきっていて、目が見えなくなってもこの仕事は止めない。これを仕上げるためには、死んだりできるものかと、おっしゃっていました。小柄で色の白い円地さんが、熱と興奮で、顔をピンクに染め、使いすぎて、視力の薄れた目を血走らせて、うわ言のように言ってられたのを、今も忘れることはありません。円地さんの亡くなられたあと、私も源氏の訳をしましたが、やはり何度か命の危機を迎えたことでした。そして、角田さんが源氏の訳を始めたことは聞き知っていましたが、ああ、そうか、こうして源氏は次々新しく、若い世代へと送りつづけられるのだなと感動していました。

 角田さんから、全三巻の、最終巻を送って頂いたので、嬉(うれ)しがって、夜昼となく読みふけったのです。かねがね角田さん作の小説は愛読していて、豊かな才能と、その筆使(ふでづか)いの達者ぶりに感心していました。

 私の一番親しかった同世代の河野多恵子さん、大庭みな子さんに先立たれ、今は、孫のような世代の角田光代さんや、江國香織さん、井上荒野さんたちの、新鮮で芳醇(ほうじゅん)な才能が嬉しいのです。

 ヨコオさん、ほら、ここまで書くと、私のおばあさんぶりがよくわかったでしょう?

 新型ウイルスが怖いので、寂庵は安倍首相よりす早く、すべての行事を休み、閉門です。

 門内は梅や椿(つばき)やまんさくが咲きみちて、極楽浄土。ほんとは、花のきれいな間に、ヨコオ御夫妻にいらしてほしいのだけれど……

 甘いボタとぜんざいをたくさん用意してお待ちしますよ。もちろん本職に作ってもらうから、おびえないで。

 とにかくみんな揃(そろ)ってイヤイヤでも達者でいましょうね。では、今夜もイヤイヤやすらかにおやすみなさい。

週刊朝日  2020年3月20日号