私はもう間もなく百歳に近い年になりましたので、近頃は何事も正直に、自分の心のすべてを書き残そうと思うようになりました。それで志賀直哉の文学は、それほど好きではないと告白しておきます。ところがどういうわけか、私と同年代の女性作家の代表者として君臨した、河野多恵子さんと大庭みな子さんが、私の所に集まると、三人が口を揃(そろ)えて、世に文豪と伝わっている大作家たちの小説を、こきおろし、胸をすかせ、はてはそんな自分の浅ましさに呆(あき)れはて、大爆笑するということが度々ありました。

 そんなみっともない話はヨコオさんには露もせず、ヨコオさんが、温泉町の細長い道に沿って流れている川沿いの道を歩きながら、志賀直哉大先生の小説に出てくるこの川のまわりにいた蜂やネズミの話を始める、その記憶の正確さに、アキれはてていました。

 ところであの川は決して美しくはなく、浮かんでいる舟もおんぼろだったのに、ヨコオさんが、後にあの川を描いたら、川はヨーロッパのどこかの名勝のようで、舟は金や瑠璃で飾られていて、中に身を横たえている乙女は、この町では出逢(であ)えそうもない、この世ならぬ美しい異国の貴女でした。爾来(じらい)、私の頭の中には、「城の崎」といえば、志賀さんの川ではなく、ヨコオ画伯のあの画の、物語りのような、あでやかな川が頭によみがえるのです。

 あの旅には横尾夫人も御一緒でしたよね。宿の玄関で、夫人のぬがれた当時は珍しい短い長靴(アレ、ヘンな表現だな。ホラ、革の膝[ひざ]まである長靴を、女性が穿[は]くのがはやった頃だったのです。足首までの短いのもありました)、三宅一生の服に、その靴を穿かれた横尾夫人は、それは華やかでシックで堂々としていました。彼女は天才の夫が、宿の朝食に、ぜんざいを二椀(ふたわん)も要求しようが、散歩で、ヨーカンとアイスクリームを一緒に食べようが、眉一つ動かしませんでした。「天才の妻」というのを、目の当たりに見た私の驚きと歓喜は、格別でした。

 私は、あの鄙(ひな)びた駅前の広場の片隅の、コーヒー店の大正時代のコーヒー(呑[の]んだことないけれど)の鄙びた味がなつかしくて、時々ふっと、今でも想いだします。

 ほんとに楽しかったわね。

 でも、もう先のない私は、あんな旅をもう御一緒に出来そうもありません。すっかり老いぼれてしまいましたよ。

 今朝は、寂庵に今年初めての雪が降り、咲きみちた梅や、椿や、まんさくの花が、雪におおわれ綺麗でした。

 中国産の疫病は、ついに死人が出ているので、まだまだアトリエに避難していて下さいね。

 では、またね。いい夢を──。

週刊朝日  2020年3月6日号