話が逸れた。視力だ。

 手術をしたあともわたしの視力は左右0.7と変わらないが、運転をするとき、眼鏡不要となった。新聞は裸眼で読めるし、針の穴に糸も通せる。鼻毛も抜けるし、グッピーの稚魚を見つけてすくうこともできる。ここにいたって、むかし健診に来た眼科医の言葉が強がりではなかったと実感できる。視力がよくて遠くが見えるのはもちろんいいことだが、適度な近視も捨てたものではないと、彼はいいたかったのだろう。

 そしてもうひとつ──。高校教師をやめて作家専業になったころ、ある劇団主宰者と知り合った。彼とはじめて食事をしたとき、酒を飲まないので、その理由を訊くと、「若いころは一晩中でも飲んだが、いまはやめた。大酒飲みは大病する」といい、複数の親しい友人が亡くなった、といった。「ほんまかいな」とわたしは思ったが、この齢になってみると、それがまた実感として思い出される。

 いまは亡き盟友・藤原伊織は若いころに大酒を飲み、一日に三箱も四箱も煙草を吸って食道ガン、わたしと同年の友だちも三日に二本のウイスキーを空けて食道ガン、馴染みのスナックのマスターも毎日、大量の強い酒を飲んで食道ガン、会うときはいつも赤い顔をしていたテニス仲間の某さんは脳梗塞──と、次々にリタイアして入院生活を送るようになってしまった。

 わたしは家では酒を飲まないが、外では飲む。よめはんに、独り酒はあかん、と厳命されているから。

週刊朝日  2020年1月3‐10日合併号

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黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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