福岡さんはそう言っていた。渥美さんも「ゆっくりゴロ寝が最高」とある対談で話し、旅行先では昼過ぎまで寝るのを理想としていた。

 それにしても、あの映画には「人間って素晴らしい」と実感させる言葉が数々出てくる。

 寅さんのテキヤ仲間の遺児が登場する「寅次郎物語」(第39作、87年)にはこんなセリフがあった。

<あー、生まれてきてよかったな、って思うことがなんべんかあるじゃない。そのために人間生きてるんじゃねえのか>

 初期のころの寅さんは怖い一面もあった。理屈を振りかざす相手に対しては、舌鋒鋭かった。

<ザマ見ろぃ、人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ>
<おう? てめえ、さしずめインテリだな>

 第1作が公開された69年は東大安田講堂攻防戦があった学生運動の年。山田監督も新宿駅で学生の演説を聞いたという。

「でも体から出てきた言葉じゃないのね。頭の中だけで構築された理論で世の中が変わるだろうか、人間を変えていけるんだろうか?」

 そんな思いを寅さんのセリフにこめたそうである。

 名優・志村喬さんがさくらの夫・博の父親を演じ、しみじみとつぶやいた言葉も忘れられない。71年の第8作「寅次郎恋歌」だ。

<庭一面に咲いたリンドウの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち、それが本当の人間の生活ってもんじゃないか>

 この年、マクドナルド1号店が銀座に登場し、カップヌードルも発売された。食卓の風景が変わりはじめる。このまま走り続けていっていいのかという不安が日本人の胸の中に頭をもたげつつあった時代である。そういう心の隙間に、寅さんは座を占めていったのではないか。

 今回、「男はつらいよ」が50周年を迎えるにあたり、記者は全国のロケ地を訪ね、朝日新聞で連載記事を書いている。

 北海道が舞台となった第38作「知床慕情」(87年)。三船敏郎さんが演じる獣医師は、牛や馬を人間の仲間として扱ってきた「農民の心」について語っていた。それが「経済動物」になってしまい、乳量が落ちたらすぐ処分されてしまう現状に怒りをぶつけていた。

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