※写真はイメージです (Getty Images)
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 作家の片岡義男氏が選んだ“今週の一冊”は『東京凸凹散歩 荷風にならって』(大竹昭子著、亜紀書房、1800円※税抜き)。

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 この本の題名のなかにある、凸凹という表現の意味を、著者の大竹さんは本文の第一行で解き明かしている。「東京は坂と丘と谷の街である」という意味だ。こんな地形のところによく江戸を作ったものだ、と不思議な思いをするほどに、東京は凸凹している。

 凸凹は海抜に置き換えてもいい。ゼロ・メートル地帯、という言いかたで知られているのは、海抜がゼロ、つまり海面と陸地がおなじ高さの地域だ。反対は高台だろう。僕が知っている唯一の高台は、下北沢駅の南側に位置する、代田二丁目の高台になった住宅地だ。ここに僕は20年ほど住んだ。高台を南に向けて斜面を下るとそこは梅丘通りであり、50年ほど前の大雨のときには、代沢を中心に広く浸水したという。貧弱な下水道の雨水処理能力を雨が越えれば、一帯は浸水するほかない。

 副題には「荷風にならって」とある。荷風とは作家の永井荷風のことで、生年は1879年、没年は1959年だ。他界する10年前くらいならまだ散歩していただろう。いまから70年前だ。70年という時間を越えて、この作家はまだ散歩の手本になっている。不可思議としか言いようのない地形の上で、70年という時間が経過している。時間は変化でもある。70年あれば変化の様相はただごとではない。その時間を受けとめられるかどうか。いまの地形のなかでいまという時間から歩き始めて、70年という時間を自在にくぐる能力を持たないと、散歩も出来ない。散歩は、じつは、奥深くやっかいだ。知識と能力を存分に持っている必要がある。「ただ歩くのでは、もったいない」という文言が帯にある。ただ歩くとは、なにかの用事をすませるため、脇目もふらず足早に、目的に向けて歩いていくことだろう。その反対を、知識と能力に支えられて、根気の続くままに、正しい直感に導かれて、時間などいっさい気にせずに、歩くのだ。

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