絵の線が震えてもおどってもいいから、早く元気になって、絵を描いて下さい。易者が三人も揃って、五十歳で死ぬと言ったのに、それから三十年以上も生き長らえているのだから、もしかしたらヨコオさんは、死ねないのではないかしら?

 あなたの書くあの世の話をいくつか読みましたが、そこではみんな好きなことだけして、のんびりしてますよね。

 ヨコオさんの説によれば、あの世に往くと、あの世の秤(はかり)で、この世での行いを計られて、それにふさわしい段の世界に追いやられて、上下の段とのつきあいは出来ないのだということでした。それと全く同じことを、私は谷崎潤一郎氏の小説『痴人の愛』のナオミのモデルだといわれる小林せい子さんから聞きました。

 私がせい子さんに逢った時は、彼女は百近い九十いくつでしたが、ほっそりした躰つきは、若いモデルのように美しく、何より、わざと短いスカートから出している脚の美しさにびっくりしました。靴も、どきっとするしゃれたデザインを穿き、人の目が自然にそこに行くような姿勢の、坐り方をしていました。はじめて逢ったのに、あけすけに何でも話してくれました。

「死ねばね、その人の生前の行為によって、あちらの階段のようになっている段階のひとつにつれてゆかれるのよ。あの世では、谷崎は下の方の段で、佐藤がずっと上の段階なの」

 と言い、ケロっとしていました。せい子さんは、歳と共に、霊の声が聞えるようになったといい、占いもしていました。私は百近くまで生きると言われたのを思いだします。

 十六とかで処女を奪われた谷崎から、死ぬまで月々莫大な現金をまきあげていました。話すとさっぱりしたいい人でしたよ。

 私たち、死ねば行く段階が違って、もう逢えないかもね。

 ヨコオさん、速く病気を治して、またゲラゲラ笑いましょう。うちの観音さまにもお祈りしてますよ。

 奥さまに看病つかれが出ませんように! 寂聴

週刊朝日  2019年10月11日号