最近は手がぶるぶる震えて線がまっすぐに引けません。これからの作品はぶるぶる派と新朦朧(もうろう)派の合体作になりそーです。横山大観の朦朧派に対する新朦朧派です。これは難聴で音が朦朧と聴こえるので、その音を視覚(ビジュアル)化した作品のことです。しかも、描くのに飽きていますから、ますます無頓着アートになるでしょう。83歳で新境地!なんていってみたいけれど、「やっぱり年寄りはアカンなあ」と言われそーですが、若い人には描けないボケ画が描けそーです。妙な意欲に振りまわされずに、好きな「趣味の日曜画家」で生涯を終るというのもいいんじゃないかな? マグリットという画家も死ぬ前にあんなコンセプチュアルな絵ではなく、普通の絵を描きたかったそうです。普通がいいんです。また普通こそ人間の到達する悟性ではないでしょうか。

 年を取ると今まで見えなかったこと、感じなかったこと、思わなかったことが次々目の前に現われます。字数がなくなりました。病室から。

■瀬戸内寂聴「私たち、死ねばもう逢えないかもね」

 往復書簡が始まったとたん、ヨコオさんが病気になり入院してしまい、この企画が頓挫してしまいました。熱が40度も出て入院したとのこと。ヨコオさんは病院と仲がよく、しょっちゅう入院するので、余りドッキリはしません。奥さまにTELして伺ったら、オシッコに、何やら菌が入って熱が出たとのこと!

 ヨコオさんの小さい時から、おかあさまが、外でオシッコする時は、そこの土地に、「ごめんやす」と挨拶するように教えられていたと、読んだ覚えがあります。根が素直な性分のヨコオさんは、それを守ってきた筈(はず)だし、そんないい子のオシッコに、病菌が着くなど、何かの間違いだと思いこみ、すぐ治ると感じていたのに、思いの他、しつこい菌のやつ、居直っている様子で、退院はしたけれど、まだ、病床の人らしいので、とても心配しています。

 ヨコオさんの見かけは、歳と共に若返り、まさか八十三歳にもなるオジイさんとは誰も信じてくれないでしょう。最近、手が震えて絵の線がブルブルになるなど聞かされても、私だって「へへっ」と笑ってしまいます。

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