一回表無死一塁、投前に犠打を決める日本文理の長坂。捕手野口(C)朝日新聞社
一回表無死一塁、投前に犠打を決める日本文理の長坂。捕手野口(C)朝日新聞社
日本文理の遊撃手で主将の長坂(左)(撮影・遠崎智宏)
日本文理の遊撃手で主将の長坂(左)(撮影・遠崎智宏)

 日本文理(新潟)の背番号6で主将、長坂陽(ひなた)は、10年前の「あの夏」、一塁側ベンチ上のスタンドにいた。

【写真】日本文理の主将・長坂

 2009年夏の第91回全国高校野球選手権大会決勝で、日本文理は中京大中京(愛知)を相手に驚異的な追い上げを見せた。6点リードされた九回2死から、1点差まで詰め寄った。今なお語り継がれる夏だ。

 日本文理を選んだ理由がそこにある。今度は自分が聖地の舞台に立った。

 関東一(東東京)と対戦した10日の1回戦は、初回から日本文理のペースだった。一回表、1死満塁とすると、5番・南隼人の中前適時打で先取点を奪った。三回表も2死二塁から南が左前に2打席連続の適時打を放ち、リードを広げた。いずれの得点にも長坂は絡んだ。

 しかし、三回裏、一挙4点を奪われた。四回表、日本文理は1番・桑原の中前への2点適時打と2番・長坂の左越え適時二塁打で逆転に成功したものの、その裏に再びひっくり返された。その後は相手に着実に加点された。

 迎えた九回表。点差は4点。10年前のあの夏がよみがえる。

 1番からの好打順。桑原が死球で出塁し、無死一塁で長坂に打席が回ってきた。

「とにかくつなぐ」

 その意識しかなかった。

 1ストライクからの2球目、ストレートを捉えた。

「打った瞬間、抜けたと思った」

 だが、右方向に飛んだ強い打球は二塁手の好守に阻まれた。

次のページ