小和田家と親交のある雅子さまの友人によると、雅子さまは7歳のとき、日本に帰国した。いわば帰国子女なのでインターナショナルスクールに通ってもよさそうだが、雅子さまは田園調布雙葉学園小学校に編入した。

「優美子さんは『日本語の読み書きや文化の理解が中途半端な日本人になってほしくない』とおっしゃっていました」(前出の友人)

 そこには小和田家のある教育方針が影響しているのかもしれない。

「雅子さまの『雅』という字は、お母様の名前と2人の妹さんの名前の頭文字とつなげると『優雅礼節』となります。そのとおり、日本の伝統的なお考えで子育てをなさったと思います」(同)

 小学校時代、雅子さまは「一日」という題で、こんな詩を書いた。

「一日」 小和田雅子
カゲロウにとって
一日は一生だ。
なんて短い一生だろう
めすは
そんなに短い時間に
たまごをうむのか。
たまごをうみおえて
死んでいく「カゲロウ」
そんな短い一生を、
大切に使ってほしい。

 友人も多かったという雅子さま。3年前、中学・高校の同窓会に顔を出し、愛子さまの話題になると目を細めていたという。
「体調に気を付けて、ご公務に励まれてください」と、同級生らは、励ましの言葉を送った。

 雅子さまは高校卒業後、ハーバード大、東大を経て、外務省に入省し、オックスフォード大に留学。外務省初の女性キャリア官僚として活躍し、1993年に今の天皇陛下結婚した。結婚後も働く女性が増えた時代とも重なり、雅子さまはキャリアウーマンの象徴として新しいお妃像をイメージさせた。

 しかし、皇室では厳しい現実が待ち受けていた。自分の能力を生かせるはずの外国訪問の機会は限られ、伝統やしきたりなどの慣れない環境での心労、そして何より「お世継ぎ」の重圧がのしかかった。体調を崩し、2003年12月に入院後、療養に入り、04年、「適応障害」と診断された。同年には陛下(当時は皇太子)の「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」という、いわゆる人格否定発言があった。

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雅子さま、トランプ夫妻と終始、にこやかに会話