物語はクレア、マーク、警部の3人の視点に加え、ソフィアの日記も挟み込まれ、4種類の視点のリレー方式で進んでゆく。記憶力に問題がある以上、事件の当事者であるクレアやマークの内面描写が、いかに本人は潔白のつもりでも信用できないことは言うまでもないし、ソフィアの日記もどこまで本当のことが記されているか疑わしいが、実は警部も問題を抱えている。24時間以内にどんな事件も解決するという評判の彼は、モノであるにもかかわらず、それを隠し、デュオしかなれない要職に就いているのだ。秘密を部下に見破られるのではないかと怯えつつ、彼は捜査を進めてゆく。

 文芸の世界には「信用できない語り手」という用語があるけれども、本書の場合は主要登場人物4人の全員が信用できないのだ。それぞれの視点で読者が感じるであろう数々の疑問は、綿密な伏線回収によって次第に真相へと収斂してゆく。そして終盤には、章ごとに視点を切り替える本書の構成ならではの、怒濤のような連続どんでん返しが待ち受けており、最後の最後まで油断は禁物なのである。

 どんなに使い古されたように思える設定でも、SF的要素を取り入れるなどの発想の転換によって、目新しさを演出できるというお手本のようなミステリーである。そしてこの発想は、死人が復活するようになった世界を舞台にした山口雅也の『生ける屍の死』や、何度も同じ時間帯のタイムループを繰り返す西澤保彦の『七回死んだ男』、近年の新人で言えば今村昌弘の『屍人荘の殺人』や阿津川辰海の『星詠師の記憶』といった、超現実的な特殊設定を取り入れた日本の本格ミステリーの着想とも近いように感じられる。ミステリーの新たな可能性を探る試みは、世界各国で自然と似た方向を向くようになるということなのだろうか。

週刊朝日  2019年5月3日号‐10日合併号