つきまとう「似ている」という視点。それが求められることも宿命である。そのためか、今回の取材の開始早々、冗談めかしてこう笑った。

「僕、週刊誌、苦手なんですよ」

 過去に受けた週刊誌のインタビューが、そんな好奇の目で書かれたものだった経験があるからだ。

「だから今日は、敵意むき出しでいこうかなんて思ってたんですけど(笑)」

 そこに、どこか反逆する若者のイメージを持つ尾崎豊の姿を重ね合わせ、「あ、尾崎っぽい」と、やはり感じてしまう自分もいた。

 音楽活動を本格化させるにあたり、尾崎豊の作品をはじめ、玉置浩二や浜田省吾など、数々の有名アーティストをプロデュースしてきた音楽プロデューサーの須藤晃が、裕哉を手掛けることになった。

「ビッグアーティストをたくさん手掛けてきた須藤さん、そんな人が、僕の音楽に興味を持ってくれたということがうれしかった」と裕哉は語る。

 かつて制作パートナーとして、尾崎の身近な存在だった須藤。裕哉が生まれた時に、尾崎は「須藤さん、ついに生まれたよ!」とうれしそうに報告してくれたと、須藤は振り返る。

「その時、見せてくれたノートには、たくさんの男の子の名前が書いてありました。『裕』の字を使ったものが多くて、その中に『裕哉』もありました」

 忘れ形見の裕哉にとっては身近な「親戚のおじさん」のような存在でもあった。やがて成長し、父と同じ道へ。須藤の心の中には、葛藤があったという。

「恋人というわけではないけれど、『付き合ってた』と言ってもいいぐらい、尾崎とは密な関係でした。その息子と僕が組むというのは、果たして本当にいいんだろうか、知りすぎていることから生まれる複雑な気持ちもありました。『お父さんに似てる』と言われること、父の曲を歌ってほしいと言われること、それは裕哉くんが音楽をやると決めた時からつきまとう大きな壁だと思っていました」

 その大きな壁を、ある意味、裕哉は乗り越えている。

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