井山:だから常にイメージできる状態にあるので、たとえばこうやってお話ししているときでも考えることはできるんです。移動中とか何かをしているときでも、考えたりイメージしていることがあるかもしれないですね。

林:棋譜っていうんですか、あれを何百とか何千とか覚えてらっしゃるんですか。

井山:そうでもないですけど、自分が対局した棋譜は、本当に印象に残った対局だったら、10年とか20年たっても、あのときはこういう対局をしたなとか、記憶にあります。

林:へぇー。

井山:プロ棋士は、対局したあとに一から並べ直してお互いに感想を言い合うんです。皆さんは「一から再現できるのがすごい」とよくおっしゃるんですが、あれは記憶しているというより、自分がこう打ったから相手がこう打ってきて、それに対して自分がこう打って……という流れ、ストーリーみたいなものがあるので、それを覚えてるんですね。

林:なるほど。そうなんですか。昔、将棋の升田幸三名人が、鳥がパッと一斉に飛び立ったときに、一瞬で鳥の数を把握したという有名な話がありますけど、井山五冠もそうですか。

井山:いや、それはまったくないですね。そこは凡人だと思います。そういう特殊な能力は、あるのに気づいてないならいいんですけど、もともとないような気がします。

林:一度見たものは忘れないとか、計算がすごく速いとか。

井山:いや、ぜんぜんないですね。

林:粘り強さとか集中力とかは。

井山:ああ、そこは囲碁というゲームを通じて得たものの一つだと思いますね。特に2日制の対局は時間がものすごく長いので、抜くところは抜くというか、大事な局面にどれだけいい集中を持っていけるか、そこは囲碁から学んだところだと思います。また、囲碁はよく負ける世界で、強かった人でも生涯で8割勝った人は、現状のプロ制度が確立されてからは一人もいなくて、7割勝てれば「すごい」と言われる世界なんです。だから「完璧に打てた」とか「最高の一局だ」と言える対局は、いまだに一つもないです。

林:そうなんですか。

井山:感覚的にはほとんど手探りで打っていて、自信を持って「この手が正解だ」と思える手は、ほとんどないですね。ほんとにどうしていいかわからないときには、感覚的に決めていることも多いですね。しっかり裏付けがあるわけではなくて。

林:感覚なんですか。

井山:囲碁という世界、とうてい人間ではわかり得ないぐらい深いし広いので。

林:よく宇宙にたとえる人もいますよね。人知では及ばないからおもしろいのかもしれないですね。

井山:そう思いますね。いくらやってもわからないという感じです。

(構成/本誌・松岡かすみ)

週刊朝日  2019年4月26日号より抜粋

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松岡かすみ

松岡かすみ

松岡かすみ(まつおか・かすみ) 1986年、高知県生まれ。同志社大学文学部卒業。PR会社、宣伝会議を経て、2015年より「週刊朝日」編集部記者。2021年からフリーランス記者として、雑誌や書籍、ウェブメディアなどの分野で活動。

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