――その後の活躍は読者も知るところ。岩下といえば、86年、「極道の妻(おんな)たち」の姐さん役。あまりのハマりぶりに多方面に影響を及ぼしたそうだ。

 新幹線の中で丁重にあいさつしてくださる方がいて「知ってる方かしら?」と思うと“その筋”の方だったり。病院に知人のお見舞いに行ったら、玄関に止まっていた黒いキャデラックから数人の黒服の男性がバババッと降りてきて、整列して私にお辞儀をするんです。「あら、これは完全に錯覚してるわ」と思いながら(笑)、その前を悠然と歩いて病院に入ったこともありました。

 でも、お話をいただいたときはちょっと悩んだんです。ピストルの音さえ怖いのに、自分が撃つわけでしょう。あの世界独特の潔さと、女性の持つ強さを出せるかな、という不安もありました。でも五社英雄監督が「任せなさい」とおっしゃってくださったので、挑戦できたんです。

 私はいつも外側から役を作っていくほうなので、プロデューサーに「極妻さんの家に3日間くらい住まわせてほしい」とお願いしたんです。「とんでもない!」とプロデューサーに一喝されました。「岩下志麻の極妻でいいんだから」と。

 だから、私なりに工夫して、着物の衿の合わせ方を深くして、ピアスをつけて。その筋の方も気に入ってくれたのか、当時、似たような着物のスタイルの極妻さんらしき女性を見かけましたね。

 私はね、明るい役をやっていると明るくなるし、落ち込んだ役だと普段も落ち込んでしまう。だから極妻みたいな役だと普段も気が大きく、強くなっちゃうの。極妻のときは、口調も強かったみたいで、よく「怖い、怖い」って言われました(笑)。

――天職として女優の道を突き進んできた岩下。だが、会話の中に、ひとりの母親としての悩みや葛藤が垣間見えるときも。それが、プラスαの魅力になっているのかもしれない。

 32歳で出産したとき、初めて揺らぎましたね。「女優をこのまま続けていていいのかな、子どもをこれだけ犠牲にしていていいのかな」と。

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