――67年に篠田監督と結婚。だが当時は結婚=引退、という時代。映画会社の猛反対にあった。

 毎日のように松竹の重役さんたちがうちに見えて「まだ早い」「一人の男の所有物になるのか!」と。あんまり反対されたんで、なんだか意地になっちゃったのかも(笑)。

 私は女優を辞めるなんてまったく考えていなかったし、篠田には「結婚で、女優としてプラスαの魅力をつけてほしい」と言われました。

 篠田は私たち夫婦に「戦友」という言葉を使うけれど、目標を同じくして2人で歩んでいく感じです。そういう関係になれたのは、結婚してから篠田と2人で独立プロダクションを作ったことが大きいですね。

 結婚しても女優ができると証明しなきゃ、という思いで走ってきましたし、失敗しちゃいけない、と私は切符売りもやりました。あちこちにチケットをお願いして、映画というのは大勢の人に見てもらって初めて価値が出るんだ、と私はそのときに気づいたのです。

――岩下が女優としてのキャリアを築く上で、篠田監督のほかにもう一人、欠かせない人物がいた。小津安二郎監督だ。岩下は62年に「秋刀魚の味」に出演した。

 小津先生は自然体がお好きで、役者のくせやテクニックを嫌います。だから自然にできるまで、何度もテストなさるんです。50回、100回のテストはざらでした。

 一番苦労したのは、失恋したときのシーン。「巻き尺を右に2回、左に2回半、また右に2回で、パラッと落として、ぼんやりしてください」と。これができないの。頭で数えちゃってるんでしょうね。どこが悪いのか先生もおっしゃってくださらない。情けなくなりました。

 その後、先生とお食事に行ったときに言われたんです。「人間っていうのは、悲しいときに悲しい顔をするんじゃないよ。人間の喜怒哀楽はそんなに単純じゃないんだよ」と。

 たぶん、私はあのとき「失恋した」という気持ちで表情が悲しくなっていたんでしょうね。テストを100回やっている間に無表情になってきて、悲しみの顔がなくなったのかもしれない。先生の言葉はいまでも、演技プランを考えるときによみがえります。この経験は、私の財産になっています。

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