──娘さんもお母さんに憧れた?

 娘もずっと笛をやっているんですが、私が教えるとケンカになりそうなので、お師匠さんにお願いしました。お師匠さんに「笛で生活はできないよ」と言われて、プロではなくアマチュアで今も笛を続けています。私は娘を舞妓さんにしたくて洗脳していたんですけれど、中学3年の時に京都にお願いに行ったら、がっちりした体格なので舞妓には向かないと。涙もろいのも、ダメだと断られました。赤坂で親子で、ということは考えませんでしたね。今23歳ですが、去年社会人になって北陸地方に赴任したので、別々に暮らしています。たまに帰ってくるとすごく嬉しいですね。

──赤坂もだいぶ街が変わりました。

 昔は料亭とお茶屋の黒塀が続いていましたが、今は飲食店の看板だらけ。大きい料亭が閉まると、そこしか入らない芸者衆も辞めてしまう。今は22人に減りました。置屋のお母さんが辞める時に私が一春本という大切な看板を受け継ぎ、今は3人かかえています。うち一人は二十歳で住み込みをさせていますが、現代っ子ですからもう大変。褒めて育てるなんてあれは嘘じゃないかと(笑)。褒めた途端に崩れるし、叱ると膨れていますから。でも根性はあるみたいなので、「どうしてそうなるのか」「なぜそれが大事なのか」いろいろ言い聞かせています。

──小唄のお師匠さんでもあるんですよね。そのほかに笛も……。

 芸事はたくさん持っていたほうがいい。特に歌と三味線はできたほうがいいです。お囃子は三味線の通りに手がついているので、三味線ができれば笛も吹けるし、アドリブも利く。鼓もすぐに覚えられます。若くてきれいなうちは踊りだけでもいいけれど、年を取って歌や三味線ができないと芸者として対応できない。定年退職はないけれど、辞めざるを得ない環境になっていくのね。私はそもそも三味線やりたかったから、自分の夢が今、かなっているのかな。赤坂で芸者になり、素敵なお師匠さんやお姐さんたちに会えて、娘も授かって……幸せですね。

──これからの夢はありますか?

 60歳過ぎたら、若い子の面倒を見て育てるほうに力を注ぎたいですね。芸者衆は減りましたが、日本の伝統文化として、途絶えさせてはいけないと。私が蓄えたものを若い世代に伝えていくのが使命かな、と思います。

(構成/ライター・谷わこ)

週刊朝日  2019年2月8日号