──お座敷にはいつから出るようになったんですか?

 すぐです。私は4月生まれなので、入って1カ月ほどで19歳になったのを機にお披露目になりました。私がいた置屋のお母さんは、厳しくて有名な人だったんです。先輩芸者さんから「どこの子?」って聞かれて置屋の名前をこたえると、態度が変わる。「あそこにいるの、偉いね」って。印籠のようでした。でも私には優しいお母さんでした。

──辞めたいと思ったことは?

 ありますよ。30歳前後に女の年頃ってあるじゃないですか。収入も不安定で老後が無事に来るのかなとか、早くお嫁に行きたいとか。結婚して辞める方も多いですから。別に辞めなければいけないというルールはないんです。でも夜だしお酒の席だから、続けるのは難しいですよね。私も結婚話があったんですが、勇気がなかった。芸者は社内恋愛などで出会う機会がないから、お会いするのはお座敷にいらっしゃる男性か、そのお知り合いに限られるので、それなりの家柄の方で。こんな私が結婚できるのかしらって悩んで、もういいやと。「結婚はしなくても子どもは欲しい」という思いはあったので、35歳で娘を産みました。

──勇気が要りましたか?

 いえ、全然。絶対産むという気持ちが強くて、相手の方にも「結婚しないでいい、一人で育てるから」と。産後半年くらいは八王子に住んでいた母のもとで暮らしましたが、母が赤坂に引っ越してきてくれて、娘を保育園に入れ、母に見てもらいながら仕事に復帰しました。最初は子どもを産んだことを周囲に黙っていたんですが、娘を連れていた時にお姐さんにばったり。ふだんほとんど会話もしないようなお姐さんから電話がきて「うちの子のお古があるから、よかったら使って」と。嬉しかったですね。

──子育ては大変でした?

 体力的にもう少し若い時に産んでおけばよかったというのはありましたけど、子どもが欲しかったから楽しかったし、母がよく面倒を見てくれたので、苦になりませんでした。保育園も小学校も中学校も赤坂で、先生に私の職業を伝えたら「何も心配することはありませんよ」って。いろいろ事情がある家庭も多く、同級生のお母さんたちも私が芸者だと知ると「かっこいい!」って言ってくださった。娘には「授業参観に洋服着てこないで、着物で来て」と言われていました。

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