■再来年分まで予定が決まってる

――多くの仲間たちから引き留められながらも65年に帰国。だが、オープンになった耳は閉じることなく、世界の音楽を貪欲に吸収していく。

 米国から帰国して2年ほどがたってから、68年にニューポート(アメリカ・ロードアイランド州)のジャズフェスティバルに出演しました。ボサノバ歌手の小野リサさんのお父さんの小野敏郎さんから「その帰りにブラジルに来ませんか」と誘われていたので、そのままブラジル・サンパウロへ。しばらく滞在し、現地のミュージシャンたちと毎日セッションしました。

 72年にはテレビ番組の仕事ではじめてケニアを訪問。人間がおおらかで、自然もダイナミックでしたね。さらに、それとは別件で74年に、建国10周年のタンザニアも訪れました。

 このときの感動が、2005年の「愛・地球博」で企画した、リズム・歌・踊りの祭典につながりました。ブラジルやポルトガル、アメリカ、セネガルから集まった子どもたちとステージを作り上げました。

――「世界のナベサダ」と呼ばれる存在になった今でも、自らのジャズを磨き続け、ライブにレコーディングにと精力的な活動を続ける。12月には、「SADAO WATANABE with strings Christmas Dreams」を全国6カ所で開催。東京・オーチャードホールはソールドアウトだ。

 もしプロになれなかったら宇都宮に帰って、電気修理店を継ぐ予定でした。それでも音楽は続けていたと思います。

 今年も例年通り、12月15日には渋谷のオーチャードホールでクリスマスコンサートを行います。26年目になるこのコンサートは、再来年分まで予定がもう決まっています。

 僕はね、仕事で生かされているんです。待っていてくれるお客さんのいる限り、ステージに立ちたい。観客と共有できる時間から元気をもらっています。(聞き手・浅野裕見子)

週刊朝日  2018年11月30日号