最初の数年は年に1、2回仕事があるかないか。でも、そういうものだと思っていました。僕は素人ですから、演技することがどういうことかもわからない、たまに合う役があったら、それを一生懸命やる。その繰り返しです。
生活はけっこう厳しかったですね。ザ・タイガース時代は入っただけ使っちゃうような暮らしだった。ですから、生活レベルを下げるという方法を取りました。ぜいたくをしない、外に出ない、友達と会わない。そうやってなんとか切り抜けよう、と。
子どもの世話もけっこうしていました。あの時代、海の向こうではダスティン・ホフマンや、ジョン・レノンが、彼らは子どもの世話をすごく楽しんで、普通にやっている。「もちろん、彼らと僕とはまったく違うけど、あの人たちがやっているなら僕も……」と思ってやっていました。そうしているうちに、ちょっとずつ仕事が来るようになったんです。
――岸部の演技スタイルといえば、淡々と役に自然に入り込み、それでいて見るものに忘れられない印象を残す。それを確立するきっかけは、ある映画との出会いだったという。
本気でちゃんとやらないといけないな、と思ったのは、小栗康平さんの映画「死の棘」(90年)ですね。あの作品には“むつかしい”という範囲を超えたむつかしさがありました。
小栗さんは「言葉だけでは本当の気持ちは伝わらない。むしろ黙っているほうが映画では観る人に伝わる場合もある。だからセリフは棒読みのほうがいい。感情を言葉に乗せると小さくなってしまう」と。
最初は全く意味がわかりませんでした。言われた通り棒読みでやってみると「それでいいんだよ」と言われる。でも撮影をしているときは、それでいいのかわからないんです。完成した作品を観たときに「ああ、映画はこういうことなのか」と。
小栗さんにはたくさん教えてもらいました。
僕は途中からポッとこの世界に入ったので、海外の俳優の本を読んでみたりもしたんです。海外の俳優は、本当によく芝居の勉強をするんですよね。彼らはものすごく勉強して、やっと市井の人に見えるようになる。でもそんな方法では僕には間に合わない。それより、例えば1日バスに乗って、街を歩いている人をじっと見ていたほうが勉強になる、と思ったりもしました。