翁長雄志の急逝に伴う沖縄県知事選は9月30日、「翁長後継」を掲げる前自由党衆議院議員の玉城デニーが、自公などが推す前宜野湾市長の佐喜眞淳を打ち破った。翁長に次ぐ「オール沖縄の顔」だった前名護市長の稲嶺進が“まさかの市長選敗北”を喫してから約8カ月。同様の“力攻め”を仕掛けた政権に、沖縄の「草の根アイデンティティー」はむしろ反発、結集し、これを排撃した格好だ。ノンフィクションライターの三山喬が沖縄県知事選を振り返る。(敬称略)
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約8万票差の大勝。だが、玉城デニー陣営には開票直前まで張り詰めた空気が漂っていた。
2月の名護市長選のときも、メディアの情勢調査で優勢とされながら、痛恨の番狂わせに見舞われたからだ。自公中央は、今回も名護の例をモデルとした大規模組織戦を展開した。
続々と現地入りする国会議員や秘書団はさまざまなつてで企業や団体に集票を働きかけ、全国から数千人もの創価学会員が沖縄に乗り込み、くまなく戸別訪問を繰り広げた。「辺野古のへの字も口にしない」争点そらしの徹底も、名護方式を踏襲。この怒濤の攻勢に、玉城陣営は“悪夢の再現”を恐れたのだ。
あの市長選では、50代以下とシニア層で正反対の投票傾向となる「世代間ギャップ」も浮き彫りになった。子供たちが学校で習うのは、沖縄戦の悲劇だけ。米軍による強制的な土地収用や無数の基地被害、本土復帰を勝ち取った民衆運動など“その後の郷土史”の流れを理解せず、翁長雄志が強調した「沖縄アイデンティティー」の呼びかけにもピンとこない若年層がいつの間にか増えていた。玉城陣営には、そんな不安材料もあった。
それでも実際の選挙風景では、勢いはやはり玉城の側にあった。この選挙で敗れたら、抵抗の術はもうなくなる……。
そんな切羽詰まった焦燥から、支援者個々人がかつてない“必死感”を見せ戦った。玉城の妻智恵子は選挙戦序盤、各地の後援会回りをし、支援者の気迫に気おされた驚きを語っている。